中越国境紛争
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中越国境紛争(ちゅうえつこっきょうふんそう)は、中越戦争以降に両国国境の高地(中国名:老山・者陰山)に構築されていたベトナム人民軍の陣地と、これを奪還しようとした中国人民解放軍との間で発生した大規模な軍事衝突である。二つの高地群を中心に戦われたため中華人民共和国では両山戦役(中国語版)と呼ばれている。
概要 中越国境紛争(両山戦役), 時 ...
中越国境紛争(両山戦役) | |||||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||||
中華人民共和国 |
ベトナム ソ連軍事顧問団 | ||||||||||
指揮官 | |||||||||||
鄧小平 軍事委員会主席 胡耀邦 共産党総書記 楊得志 解放軍総参謀長 |
レ・ズアン 共産党書記長・軍事委員会書記 ヴァン・ティエン・ズン 国防大臣 | ||||||||||
戦力 | |||||||||||
第14・第11・第1軍、第67・第27・第13集団軍 | 第313・第316・第356師団など | ||||||||||
被害者数 | |||||||||||
詳細不明(939名とも) | 詳細不明(4,000名以上と推定) |
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戦闘は1984年4月2日の老山陣地に対する中国人民解放軍による砲撃に始まり、
の三次に渡って中越両軍の衝突が発生した。
7月14日のベトナム軍の白兵攻撃で最大規模の交戦が発生したが、砲・ロケット弾の大火力でこれに抗した中国人民解放軍が老山陣地を死守して終結した。