佐々木盛綱
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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佐々木 盛綱(ささき もりつな)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。加地 盛綱とも呼ばれ加地氏の祖である。
概要 凡例佐々木盛綱, 時代 ...
倉敷市藤戸盛綱橋の佐々木盛綱像 | |
時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
生誕 | 仁平元年(1151年) |
死没 | 不詳 |
改名 | 秀綱(初名)→盛綱(元服後)→西念(法名) |
別名 | 三郎 |
墓所 |
群馬県安中市松岸寺 岡山県倉敷市 |
官位 | 左兵衛尉 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝、頼家、実朝 |
氏族 | 宇多源氏(佐々木氏) |
父母 | 佐々木秀義、源為義の娘 |
兄弟 | 定綱、経高、盛綱、高綱、義清、厳秀 |
子 | 信実、盛則、盛季 |
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近江の宇多源氏佐々木氏棟梁である佐々木秀義の三男として生まれる。初名は父の1字を取って秀綱(ひでつな)といった。源頼朝に伊豆の流人時代から仕え、その挙兵に従い治承・寿永の乱で活躍。備前国児島の藤戸の戦いでは、島に篭もる平行盛を破った。