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日本のプロゴルファー、漫画原作者 (1947-2024) ウィキペディアから
坂田 信弘(さかた のぶひろ、1947年10月11日 - 2024年7月22日)は、熊本県熊本市出身のプロゴルファー、漫画原作者。
尼崎北高校卒業後は京都大学文学部東洋史学科に進学するが、在学中に親が亡くなり、残った家族に仕送りをするために中退し、1969年に自衛隊体育学校に特別体育課程学生として入隊。
1971年に陸上自衛隊を満期除隊により退官すると、プロゴルファーを目指し[3]、栃木県の鹿沼カントリー倶楽部にて研修生生活に入る。1972年には愛知県の貞宝カントリー倶楽部へ移籍し、1975年に28歳でプロテスト合格。
1978年からは福岡県の周防灘カントリークラブに所属し、同年9月中旬から12月24日までの4ヶ月弱にわたるオーストラリア、ニュージーランドに遠征[4]。1984年からはトーナメント生活の傍らで執筆活動を開始。
1988年には1月下旬よりアフリカサファリツアー[5]に参戦し、ナイジェリアでイバダンオープンとナイジェリアオープンに出場[6]。第1戦[5]のイバダンオープンでは乾季で、撒水設備がなく、フェアウェイもラフも真っ白、小川の周辺の草のみが青々としたコース[7]でプレー。在イバダンの日本人15人の懸命な応援を受け[8]、初めて試合中に「負けられん」という気持ちになった[9]坂田はプレーオフでストレートボールを2球続けて打ち、優勝を飾った[8]。ナイジェリアオープンは撒水設備が入ったコースであったが、緑一色のコースは成長が早過ぎて、水を撒いた後の6時間ぐらいでフェアウェイの芝生は5cmぐらいになり、当然、ドロップが心配となるため、150ヤードを8番か、9番かで悩むことも度々あった[7]。 4日間、フェアウェイともラフとも区別できぬ芝生の上でプレーしコース[7]、予選ラウンド8位と好位置に着けたが、最終的には決勝で25位タイに終わった[6]。この2試合で1万ナイラ、日本円で50万円弱を獲得[6]。
その後は作家・レッスンプロゴルファーに転向して才能が開花し、1993年に坂田ジュニアゴルフ塾を開校。自衛隊員時代に培ったスパルタ教育[注 1]を生かして厳しい指導をすることでも大変有名だが、古閑美保、上田桃子、笠りつ子、原江里菜など多くのプロゴルファーを輩出しており、名指導者としても知られていることから、度々テレビ番組で取り上げられている。
一方、作家として原作を書いている漫画では、漫画とはいえあまりにも現実離れした能力を持つ登場人物が出てくる[注 2]ことと、主に『風の大地』や『奈緒子』などに出てくる独特の人生訓のような長ゼリフが特徴的である。
1994年には『風の大地』で小学館漫画賞、1996年にはゴルフ界特別功労賞を受賞。
2008年に創部された大手前大学ゴルフ部監督に就任し、2年目で女子チームを全国大会優勝に導いた[10]。
2024年7月22日に死去[11]。76歳没。
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