大久保房松
ウィキペディア フリーな encyclopedia
大久保 房松(おおくぼ ふさまつ、1897年11月6日 - 1997年8月28日)は、日本の騎手、調教師。
概要 大久保房松, 基本情報 ...
大久保房松 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 青森県八戸市 |
生年月日 | 1897年11月6日 |
死没 | 1997年8月28日(満99歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 |
函館競馬倶楽部 東京競馬倶楽部 日本競馬会 国営競馬 日本中央競馬会 |
所属厩舎 | 函館大次・函館(1912年-1922年) |
初免許年 | 1912年9月 |
重賞勝利 | 14勝 |
通算勝利 | 820戦88勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1922年 |
調教師引退日 | 1989年2月28日(定年) |
重賞勝利 | 43勝 |
G1級勝利 | 9勝 |
通算勝利 | 10459戦1235勝 |
経歴 | |
所属 |
目黒競馬場(1922年-1933年) 中山競馬場(1933年-1944年) (競馬休止、1945年-1946年) 中山競馬場(1946年-1978年) 美浦T.C.(1978年-1989年) |
テンプレートを表示 |
閉じる
1912年に函館競馬倶楽部の函館大次門下から騎手としてデビュー、1922年から調教師兼業となり、1933年にカブトヤマで東京優駿大競走(現東京優駿・日本ダービー)を制した。第二次世界大戦を経て、戦後は国営競馬・日本中央競馬会の調教師として、JRA顕彰馬となった牝馬トキツカゼ、その産駒で1955年の啓衆社賞年度代表馬に選出された日本ダービー優勝馬オートキツなど数々の活躍馬を管理した。また、門下生からは騎手としてそれぞれ1000勝以上を挙げた郷原洋行、的場均などを輩出した。1989年に定年引退。引退時の年齢91歳は中央競馬における最年長記録である。
青森県八戸市出身。北海道湯の川尋常高等小学校尋常科卒業。1979年、黄綬褒章を受章。長男大久保勝之は元JRA調教師。弟子でもあった飯塚好次は娘婿である。