屋久島
鹿児島県、大隅諸島にある島 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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屋久島(やくしま)は、鹿児島県の大隅半島佐多岬南南西約60kmの海上に位置する島。熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。南方に位置するトカラ列島や奄美群島などとともに南西諸島を構成する。
屋久島 | |
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ランドサット画像(2002年) | |
所在地 |
日本 鹿児島県熊毛郡屋久島町 |
所在海域 | 東シナ海 |
所属諸島 | 大隅諸島 |
面積 | 504.88 km² |
最高標高 | 1,936 m |
最高峰 | 宮之浦岳 |
人口 | 39,550(2020年) |
プロジェクト 地形 | |
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九州最高峰の山、宮之浦岳(標高1936m)がある。自然が豊かで、屋久島国立公園の中核をなし、世界自然遺産の一つに登録されている[1]。
面積504.29 km2[2]、周囲130km(東西約28km、南北24km)[3]。円形に近い五角形をしており、淡路島よりやや小さい[3]。鹿児島県の島としては奄美大島に次いで2番目、日本の中では本州など4島を除くと面積第9位である[4]。
豊かで美しい自然が残されており、島の90%が森林である。島の中央部の宮之浦岳(1936m)を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%にあたる107.47 km2がユネスコの世界遺産に登録されている。この世界遺産への登録は1993年、姫路城、法隆寺、白神山地とともに日本からの第一陣であった。
本島においての発電は、屋久島電工が製錬所の自家発電のために建設した火力発電所と水力発電所からの電気を、安房電気利用組合、種子屋久農協、九州電力送配電、屋久島町の4事業者が分担して供給している。したがって本島では九州電力送配電が電気を供給していない世帯や事業者も存在する。平素、島内の電力は水力発電で賄われており、火力発電は緊急時に限って活用される。
地形・地質
屋久島はほぼ全域が山地であり、1,000mから1,900m級の山々の連なりは八重岳と呼ばれ洋上アルプスの異名もある[5]。屋久島山地と記述した文献もある[6][7]。中央部には日本百名山の一つで九州地方最高峰の宮之浦岳 (1,936m) がそびえる。このような中央部の高峰は奥岳と呼ばれ、永田岳を除き海岸部の人里から望むことはできない。宮之浦岳、永田岳および栗生岳は屋久島三岳とされ、山頂に一品宝珠大権現が祀られ古来より嶽参りの対象とされてきたが[8]、『三國名勝図會』の記す栗生嶽は位置的に現在の黒味岳に相当するとする説もある。海岸部から間近に聳える山々は前岳と呼ばれ、本富岳、国割岳および愛子岳などがある。また、喜界カルデラを生んだ6,300年前の大噴火の際、屋久島は火砕流によって島の大部分が覆われたことがあるとされている[9]。
地質的には西南日本外帯の四万十帯に属し、島外周部は日向層群(旧称・熊毛層群)[10] の第三紀堆積岩からなり、中央山岳部は直径約25kmの巨大な花崗岩が貫入している。屋久島の高山はこの1550万年前にできた花崗岩がその後に隆起して形成された。また激しい雨による侵食の結果として残された花崗岩塊が点在し、永田岳の山頂付近に見られるローソク岩のような岩塔が林立する。一般に花崗岩は広い間隔で節理が発達するため巨大な岩塊が生まれる。さらに島の北西-南東方向および、北東-南西方向に発達した渓谷や尾根筋も節理の方向に沿って侵食が進んだ結果である[11]。
屋久島を流れる河川は放射状に広がり、その数は140にも及ぶ。主な河川は安房川、宮之浦川、永田川、栗生川の4つである。また急峻な山々と日本一を誇る雨量のため深い渓谷が刻まれ、河床は急勾配で滝が発達している。大川の滝、千尋の滝などが良く知られ、宮之浦川には、屋久島最大の竜王滝(3段110m)がある。
小島・岩礁
国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。
- 山ノ瀬 - (屋久島町)小島沖。
気候
屋久島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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海からの湿った風がこれらの山にぶつかり、「屋久島は月のうち、三十五日は雨」[12] と表現されるほど大量の降雨をもたらすため、年間降水量は平地で4,000~5,000mm程度、山地では8,000mm~12,000mmにも達する[13]。気象庁の屋久島特別地域気象観測所の平年値4,651.7mm(1991-2020年)は、気象庁の観測地点として全国1位(2位は宮崎県えびの高原アメダスの4,625mm)となっている。
とりわけ山間部の観測点では、淀川登山口で1999年に11,720mm、ヤクスギランドで2012年に11,130mm(平年値10,048mm)を記録するなど、毎年10,000mm前後の降水量が観測されている。これは、世界最多とされるインドのマウシンラム(平年値11,872mm)やチェラプンジ(平年値11,856.8mm)にも迫る、世界屈指の多雨地帯といえる。
また山頂付近の年間平均気温は約6-7℃[14](北海道札幌市よりも低い)であるために積雪が観測されており、日本国内において積雪が観測される最南端となっている(60cm以上の積雪を観測することがあるほか、3月の彼岸以降でも大雪や路面凍結、また4月以降でも頂上付近ではまだ冠雪が見られる)。こうした条件により、豊富な流水や湧水に恵まれ、1985年、宮之浦岳流水は名水百選に選ばれている。また、日本の地質百選にも2007年に選定された。
屋久島特別地域気象観測所(屋久島町小瀬田、標高37m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 25.3 (77.5) |
26.1 (79) |
29.6 (85.3) |
29.8 (85.6) |
31.9 (89.4) |
34.8 (94.6) |
35.2 (95.4) |
35.4 (95.7) |
34.7 (94.5) |
31.3 (88.3) |
30.7 (87.3) |
26.6 (79.9) |
35.4 (95.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 14.7 (58.5) |
15.5 (59.9) |
18.0 (64.4) |
21.4 (70.5) |
24.5 (76.1) |
26.9 (80.4) |
30.5 (86.9) |
30.9 (87.6) |
28.9 (84) |
25.2 (77.4) |
21.2 (70.2) |
16.8 (62.2) |
22.9 (73.2) |
日平均気温 °C (°F) | 11.8 (53.2) |
12.3 (54.1) |
14.6 (58.3) |
17.8 (64) |
21.0 (69.8) |
23.7 (74.7) |
27.0 (80.6) |
27.5 (81.5) |
25.7 (78.3) |
22.2 (72) |
18.2 (64.8) |
13.9 (57) |
19.6 (67.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 8.9 (48) |
9.2 (48.6) |
11.3 (52.3) |
14.2 (57.6) |
17.5 (63.5) |
21.0 (69.8) |
23.9 (75) |
24.6 (76.3) |
22.8 (73) |
19.4 (66.9) |
15.2 (59.4) |
11.0 (51.8) |
16.6 (61.9) |
最低気温記録 °C (°F) | 1.0 (33.8) |
0.7 (33.3) |
1.5 (34.7) |
4.5 (40.1) |
10.1 (50.2) |
13.7 (56.7) |
18.3 (64.9) |
19.6 (67.3) |
15.2 (59.4) |
9.1 (48.4) |
5.6 (42.1) |
2.2 (36) |
0.7 (33.3) |
降水量 mm (inch) | 294.6 (11.598) |
289.2 (11.386) |
387.0 (15.236) |
405.5 (15.965) |
444.1 (17.484) |
860.3 (33.87) |
362.4 (14.268) |
256.5 (10.098) |
450.7 (17.744) |
309.9 (12.201) |
309.6 (12.189) |
281.8 (11.094) |
4,651.7 (183.138) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 17.2 | 15.2 | 16.2 | 13.5 | 13.7 | 19.6 | 12.5 | 14.6 | 15.5 | 12.8 | 12.8 | 15.8 | 179.3 |
% 湿度 | 68 | 68 | 69 | 71 | 76 | 85 | 83 | 82 | 81 | 74 | 71 | 69 | 75 |
平均月間日照時間 | 74.9 | 83.2 | 117.9 | 146.2 | 152.7 | 100.0 | 209.9 | 201.3 | 139.8 | 115.9 | 97.3 | 78.8 | 1,515.8 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1937年-現在)[15][16] |
尾之間(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 24.5 (76.1) |
24.8 (76.6) |
28.8 (83.8) |
27.8 (82) |
30.5 (86.9) |
33.2 (91.8) |
34.7 (94.5) |
34.9 (94.8) |
33.6 (92.5) |
31.5 (88.7) |
28.5 (83.3) |
25.9 (78.6) |
34.9 (94.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 16.0 (60.8) |
16.6 (61.9) |
18.8 (65.8) |
21.9 (71.4) |
24.8 (76.6) |
27.0 (80.6) |
30.5 (86.9) |
31.0 (87.8) |
29.3 (84.7) |
26.1 (79) |
22.2 (72) |
18.1 (64.6) |
23.6 (74.5) |
日平均気温 °C (°F) | 12.7 (54.9) |
13.3 (55.9) |
15.4 (59.7) |
18.5 (65.3) |
21.6 (70.9) |
24.2 (75.6) |
27.5 (81.5) |
27.9 (82.2) |
26.3 (79.3) |
23.0 (73.4) |
19.1 (66.4) |
14.8 (58.6) |
20.4 (68.7) |
平均最低気温 °C (°F) | 9.7 (49.5) |
10.2 (50.4) |
12.3 (54.1) |
15.4 (59.7) |
18.8 (65.8) |
21.9 (71.4) |
25.2 (77.4) |
25.4 (77.7) |
23.8 (74.8) |
20.4 (68.7) |
16.4 (61.5) |
11.9 (53.4) |
17.6 (63.7) |
最低気温記録 °C (°F) | 0.6 (33.1) |
2.0 (35.6) |
2.3 (36.1) |
7.3 (45.1) |
12.1 (53.8) |
14.0 (57.2) |
18.4 (65.1) |
21.4 (70.5) |
17.0 (62.6) |
12.0 (53.6) |
7.4 (45.3) |
2.7 (36.9) |
0.6 (33.1) |
降水量 mm (inch) | 140.6 (5.535) |
172.0 (6.772) |
265.9 (10.469) |
328.3 (12.925) |
393.0 (15.472) |
705.1 (27.76) |
340.5 (13.406) |
242.2 (9.535) |
287.2 (11.307) |
215.5 (8.484) |
177.2 (6.976) |
120.1 (4.728) |
3,399.2 (133.827) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 10.6 | 11.4 | 13.5 | 13.3 | 13.4 | 19.2 | 13.0 | 14.8 | 13.8 | 10.3 | 9.9 | 9.2 | 152.5 |
平均月間日照時間 | 136.9 | 127.2 | 148.4 | 153.0 | 154.1 | 86.9 | 187.1 | 205.4 | 161.0 | 170.2 | 143.5 | 139.1 | 1,817.2 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[17] |
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出典:気象庁[18] |
植物相
温帯最南部のほぼ亜熱帯に属する地域にありながら、2,000m近い山々があるため亜熱帯から亜寒帯に及ぶ多様な植物相が確認されている。
海岸付近の低地はアコウ、ガジュマルなど亜熱帯性の植物相である。このガジュマル林は日本最北端のものとされる。
やや内陸の標高約500mまではシイ、ウラジロガシなど暖帯林、約500mないし600mから1,000mないし1,200mはウラジロガシ、スギおよびイスノキなどの混合林で移行帯となりスギの人工林もあり、約1,000mから1,600mは屋久杉、ヤマグルマおよびモミなどの温帯林となる。約1,600m以上はササに覆われ、ヤクシマシャクナゲなどが点在し、高山的様相を呈する[19][20]。本州や四国などで落葉広葉樹林帯に相当するブナ林はなく代わりに屋久杉が分布し、同程度の標高である石鎚山脈、剣山地および大峰山脈とは異なり、南海上の島である屋久島はシラビソなどの亜高山帯針葉樹林を欠く[21]。
島の中心部には、日本最南端の高層湿原である花之江河(はなのえごう)、小花之江河(こはなのえごう)が存在する。
ヤクシマの名を冠した植物は極めて数が多く、以下のようなものがある。
- コケ植物
- ヤクシマホウオウゴケ(英語版)、ヤクシマスギバゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマムチゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマアミバゴケ、ヤクシマミゾゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマオヤコゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマミズゴケモドキ(ベトナム語版)、ヤクシマクサリゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマテングサゴケ(スウェーデン語版)、ヤクシマアミゴケ(ベトナム語版)、ヤクシマキンモウゴケ(スウェーデン語版)、ヤクシマツガゴケ(スウェーデン語版)、ヤクシマタチゴケ(スウェーデン語版)、ヤクシマナワゴケ、ヤクシマヒラツボゴケ(スウェーデン語版)
- シダ植物
- ヤクシマキジノオ、ヤクシマホングウシダ、ヤクシマハチジョウシダ(スウェーデン語版)、ヤクシマシダ(ベトナム語版)、ヤクシマホウビシダ、ヤクシマカナワラビ(ベトナム語版)、ヤクシマミゾシダ、ヤクシマショリマ、ヤクシマタニイヌワラビ(スウェーデン語版)、ヤクシマタカノハウラボシ、ヤクシマウラボシ(スウェーデン語版)
- 双子葉植物
- ヤクシマアオイ(スウェーデン語版)、ヤクシマカラマツ、ヤクシマハコベ、ヤクシマツバキ、ヤクシマコオトギリ、ヤクシマスミレ、ヤクシマミヤマスミレ、ヤクシマヨウラクツツジ(スウェーデン語版)、ヤクシマアセビ、ヤクシマシャクナゲ、オオヤクシマシャクナゲ、ヤクシマホツツジ、ヤクシマタチバナ、ヤクシマアジサイ、ヤクシマガクウツギ、ヤクシマショウマ、コヤクシマショウマ、ヤクシマウメバチソウ、ヤクシマダイモンジソウ、ヤクシマバライチゴ、ヤクシマグミ(スウェーデン語版)、ヤクシマカワゴロモ(ベトナム語版)、ヤクシマサルスベリ、ヤクシマツチトリモチ(スウェーデン語版)、ヤクシマカラスザンショウ(スウェーデン語版)、ヤクシマオナガカエデ(スウェーデン語版)、ヤクシマキイチゴ、ヤクシマフウロ、ヤクシマノダケ(スウェーデン語版)、ヤクシマセントウソウ、ヤクシマコケリンドウ(スウェーデン語版)、ヤクシマリンドウ(スウェーデン語版)、ヤクシマヘツカリンドウ、ヤクシマトウバナ、ヤクシマシソバタツナミ(ベトナム語版)、ヤクシマオオバコ、ヤクシマムグラ、ヤクシマヤマムグラ、ヤクシマハシカグサ、ヤクシマウスユキソウ、ヤクシマノギク(ベトナム語版)、ヤクシマアザミ(ベトナム語版)、ヤクシマヒヨドリ(英語版)、ヤクシマニガナ(ベトナム語版)、ヤクシマコウモリ(ベトナム語版)、ヤクシマヒゴタイ
- 単子葉植物
- ヤクシマヒロハテンナンショウ、ヤクシマカンスゲ、ヤクシマハマスゲ、ヤクシマイトスゲ、ヤクシマノガリヤス、ヤクシマダケ(スウェーデン語版)、ヤクシマノギラン、ヤクシマイトラッキョウ、ヤクシマシライトソウ、ヤクシマチャボゼキショウ、ヤクシマラン(ドイツ語版)、ヤクシマシュスラン、ヤクシマアカシュスラン、ヤクシマチドリ(スウェーデン語版)、ヤクシマトンボ、ヤクシマネジバナ、ヤクシマネッタイラン(スウェーデン語版)、ヤクシマヒメアリドオシラン(スウェーデン語版)
また、屋久島の植物にはなぜか他より小さいものが多い。たとえばイッスンキンカ(ベトナム語版)はかつてはアキノキリンソウの変種とされたものだが、せいぜい7cmにしかならない(アキノキリンソウは30cm以上になる)。このようなものは山野草や盆栽としての鑑賞価値が高いため、これらを屋久島ものと呼んで珍重する動きがある。また、これに便乗する形で、他地域産のものでも小柄な姿のものに対して「屋久島○○」と名付けて販売される場合があるという[22]。
動物相
野生哺乳類としては、ヤクザルやヤクシカ、コウベモグラ、ジネズミ、ヒメネズミ、コイタチ、コウモリ数種しか生息していない。1990年代から外来種のタヌキが観察されるようになり、定着したものと思われる。沖合は古来、様々な鯨類の回遊路にあたり、大幅に種類が減ってしまった現在でもマッコウクジラやイルカ類等が近海で見られ、2010年代からはザトウクジラの確認も増えており、将来的なホエールウォッチングの可能性の調査を兼ねた陸上からの観察会も行われている[23][24]。薩摩藩政時代にはジュゴンが[25]、昭和初期にはカワウソ[26]が生息していたことが報告されているが、標本等は残されていない。
ヤクシカは杉の芽や希少植物を食害する面もあるため、捕獲して食肉として加工する屋久島ジビエ加工センターが2017年度に整備された[27]。
動物相の特徴
上記のように主な動物は日本本土と共通、あるいは関係が深いものである。それに対してこの島以南の南西諸島に見られるアマミノクロウサギやハブなど、南西諸島に独特のものは見られない。そのため、この島の南側に分布境界線として渡瀬線(渡瀬ライン)を認める[28]。
屋久杉
スギ(杉、Cryptomeria japonica)の屋久島に産し、樹齢が1000年を超えるものをヤクスギと呼んでいる。屋久島の強風、多雨、地質、シカの生息などの自然環境に対応して抗菌性を持つ樹脂を多量に分泌し、極めて長寿になる、幼樹の葉が鋭いなど、特徴的な形質を有する。
ヤクスギ、モミ、ツガを主体とする温帯針葉樹林は屋久島の標高600m以上に分布する。600 - 1,200 mは低地を占める照葉樹林との移行帯であり、両方の要素が混交する。
抗菌性が強く耐久性があることが重視され、中世以降、建築材や造船材として開発された[29]。豊臣秀吉による京都の方広寺大仏殿建立の際、石田三成が島津義久に屋久島の木材資源調査を指示しており、実際に木材が薩南海域から大坂へ運ばれた形跡がある[30]。
17世紀に薩摩藩によるヤクスギの伐採が本格化し、明治になるまでにヤクスギの良木のほとんどが伐採された。樹齢1000年程度の巨木は年輪が歪み、山地での製材が不可能であったため放置され、現在も生きているものが多い。伐採跡地にはスギの稚樹が成長し、以来300~400年を経て美しい二次林を形成している。三次林となっている林分も広い。現在は1000年程度の巨木や変形木をヤクスギ(屋久杉)とよび、二次林・三次林をつくる若いスギをコスギ(小杉)と呼ぶ[31]。
明治以降、屋久島の山林の大半は国有林に編入され、大正から昭和にかけて二次林・三次林の伐採が進んだ。1000年以上の「屋久杉」は切り残されることが多かったが、樹齢400年以下の「小杉」は、屋久杉ではないとされ、1955年(昭和30年)にチェーンソーが導入されるとともに、大々的に伐採が進んだ[32]。
現在、原生自然環境保全地域に含まれる小楊枝川流域、国立公園第一種特別地域に含まれる永田川流域、宮之浦川上流域、東部の安房川支流荒川左岸(ヤクスギランド)などがヤクスギの主要な群落として僅かに残されている。
屋久島最大の「縄文杉」はかつてその巨大さから推定樹齢6000年以上であるとされ、環境省(当時は環境庁)の環境週間ポスターで「7200歳です」と紹介されたことで、全国的に有名になった。現在では放射性炭素年代測定法で推定樹齢約2000年以上であることが確認されている。またその際に内部組織の年代が入り乱れ、同心円状の年輪を形成していなかったことから合体木であるという説があったが、これに対して数本の大枝から葉をサンプリングして遺伝子分析解析を行った結果、同じ遺伝子の木であることが明らかになった。ただし、杉の場合、木の枝どうしが癒着する接合木、倒木の上に新木が生える更新木といった現象がよく知られており、同じ遺伝子であっても、同じ木からの複数の落ち枝がいわばそれぞれ苗木となって育って合体木となった可能性がある。年代測定を行ったときにも、ウロの中の朽ちた部分にとりわけ古い年代が出たこともあり、既に朽ちたさらに古い木があり、そこからの新木の合体木である可能性が強い。
なお現在までに確認された最古の木は「大王杉」で、やはり放射性炭素年代測定法で樹齢3000年以上とされる。
- 翁杉
- 紀元杉
- 三代杉
- 大王杉
- 夫婦杉
屋久島が初めて文献に出現するのは、中国の歴史書『隋書』大業3年(607年)、煬帝の代に「夷邪久国」の記述が見えるのが最初である、この「夷邪久」は屋久島を指す説と、南島全般(すなわち種子島・屋久島より南方)を指す説とがある。
『日本書紀』では推古天皇24年(616年)に掖久・夜勾・掖玖の人30人がやってきて、日本に永住したという記事が見られ、舒明天皇元年(629年)には大和朝廷から掖玖に使が派遣されたという記載がある。『日本書紀』で、掖玖(ヤク)を、特定の島である屋久島を指すような言葉として初めて区別するような記載が行われたのは、天武天皇11年(682年)に「多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美人)それぞれ禄を賜った」という記載からである。
『続日本紀』には、文武3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。また同書には、種子島とともに多禰国との記述があり、大宝2年(702年)8月1日条に「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり」とあり、薩摩国と多禰国が成立する。これ以後、大和朝廷は令制国として一国に準ずる多禰国に国司(嶋司)を派遣する。
多禰国からの税収はとても小さかったが、南島(南西諸島)との交流や、隼人の平定、遣唐使の派遣のため格は中国として扱われていた。実際、天平勝宝5年(753年)12月7日に鑑真、大伴古麻呂、吉備真備らを乗せた遣唐使船の第二船、第三船が屋久島に帰国し、鑑真が来日したは場所は屋久島である。屋久島で11日間の1日の滞在を経て第二船は12月18日に大宰府に向けて出港、20日に秋目、26日に大宰府に到着する。734年(種子島)と753年(屋久島)の二度、遣唐使が多禰国に帰国した。『日本書紀』では7か所に多禰、『続日本紀』では21か所に「多禰」または「多褹」と記述されている)
しかし、島民を兵として徴用しても動員が難しく、年貢として取り立ても少ないことから、天長元年(824年)10月1日に多禰嶋司を廃止し、能満郡・熊毛郡・馭謨郡・益救郡の四郡を熊毛郡・馭謨郡の二郡に再編して大隅国に編入した。
1203年に鎌倉幕府から種子島氏に種子島を初めとした南西諸島が与えられ、屋久島も種子島氏の支配下に置かれることになる。1542年に大隅の禰寝氏が種子島氏の悪政を正すとの名目で屋久島に襲来し、島を占拠。宮之浦に城ケ平城を築城。1544年に種子島氏は屋久島を奪還すべく、城を攻める。禰寝氏は敗退し、再び島は種子島氏の支配下になる。このとき初めて火縄銃が実戦で使用されたと伝えられている[33][要検証 – ノート]。
1595年、種子島久時のとき、太閤検地に伴う所替えで薩摩国知覧に移され、屋久島は島津家の直轄地となる。また豊臣秀吉が京都方広寺の大仏殿建立用材調達を全国の大名に命じ、島津家にも用材の献上を命じられている。一説にはウィルソン株はその時に切り出された屋久杉の切り株ともいわれている。
江戸時代は薩摩藩の支配下に置かれる。島津光久に招かれ薩摩藩に仕えていた僧侶であり儒学者でもあり、屋久島の安房の生まれであった泊如竹は、島民の困窮を目にし、島民のため屋久杉伐採を藩に願い出る。また屋久杉伐採の指導などを行い島の経済復興に尽力した。このため屋久聖人と呼ばれている。今でも泊如竹の命日である旧暦5月25日に如竹踊りが如竹神社で行われている[34]。
米作、畑作に不向きな屋久島の年貢は、屋久杉を伐採加工した平木で納めることになった。男子は年一人当り平木六束(一束は百枚で600枚)を納めることとなっていた[35][要検証 – ノート]。
1708年にキリスト教布教のため、鎖国下の日本に潜入しようとしたジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが、屋久島に上陸している。
明治時代に入り、地租改正により島の山林のほとんどが国有地に編入された。1891年(明治24年)には国有林監視所が設置され、盗伐の取り締まりが強化されたことをきっかけに、明治37年(1904年)には島民が国を相手取って訴訟を起こすに至った。この訴訟は16年に及ぶ長期の係争となったが、関係書類から元々は薩摩藩有であったことが確認されるとして島民側の敗訴となった。だが、この判決には批判が多く、国会議員やマスコミからの追及が高まった。世論を重視した国は大正10年(1921年)に屋久島の国有林を島民一般のためにのみ使用することを旨とする『屋久島国有林経営の大綱』を定めた。この処置は島民から大いに喜ばれ、『屋久島憲法』と呼ばれた[35]。