常陸丸事件
日露戦争中に常陸丸ら日本の輸送船がロシア艦に攻撃された事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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常陸丸事件(ひたちまるじけん)とは、日露戦争中の1904年(明治37年)6月15日に玄界灘を西航中の陸軍徴傭運送船3隻が、ロシア帝国海軍ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオ艦隊)所属の3隻の装甲巡洋艦、「ロシア(英語版、ロシア語版)」、「リューリク」および「グロモボーイ」によって相次いで攻撃され、降伏拒否などにより撃沈破された事件である。特に、陸軍徴傭運送船「常陸丸」(日本郵船、6,172トン)の喪失は日本の国内世論を憤激させ、連合艦隊、特に日本海の海上警備を担当していた上村彦之丞中将の第二艦隊に対して非難の声が向けられることとなり、第二艦隊は事件から2か月後の8月14日に起こった蔚山沖海戦でウラジオ艦隊を事実上壊滅させるまでの間、強い批判にさらされた。
概要 常陸丸事件, 交戦勢力 ...
常陸丸事件 | |
---|---|
撃沈された「常陸丸」 | |
戦争:日露戦争 | |
年月日:1904年6月15日 | |
場所:玄界灘 | |
結果:日本側兵力に少なからぬ痛手。日本の国内世論激昂 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | ロシア帝国 |
指導者・指揮官 | |
ジョン・キャンベル ジョージ・アンダーソン 肥後猪之丞 須知源次郎 田村義一 |
ピョートル・ベゾブラーゾフ(ロシア語版、英語版) |
戦力 | |
輸送船3 | 巡洋艦3 |
損害 | |
輸送船2沈没 輸送船1大破 戦死1,334名 捕虜112名 |
なし |
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本項では、事件当日の6月15日とそれにかかわる事項に極力絞って記述する。ウラジオストク巡洋艦隊のその他の行動については当該項目を参照されたい。