斯波義将
南北朝時代~室町時代の武将、守護大名 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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斯波 義将(しば よしゆき[注釈 1])は、南北朝時代から室町時代の武将・守護大名。斯波氏5代当主。室町幕府創業の元勲である斯波高経の4男で室町幕府初代、3代、5代、8代管領。越前・越中・信濃守護。
概要 凡例斯波 義将, 時代 ...
『武家百人一首』より | |
時代 | 南北朝時代 - 室町時代前期 |
生誕 | 観応元年(1350年) |
死没 | 応永17年5月7日(1410年6月9日) |
別名 | 勘解由小路殿・錦小路殿(通称)、玉堂・雪渓(号)、道将(戒名) |
戒名 | 法苑寺殿道将雪渓 |
官位 | 治部大輔、従四位下左兵衛督[1]、右衛門督、従三位[2] |
幕府 | 室町幕府管領、越前国・越中国・信濃国守護 |
主君 | 足利義詮→義満→義持 |
氏族 | 足利氏、斯波氏 |
父母 | 父:斯波高経、母:不詳 |
兄弟 | 家長、氏経、氏頼、義将、義種 |
妻 | 吉良満貞の娘 |
子 | 義重、蜂須賀正秋?、娘(渋川満頼室)、益子(桃井尚儀室) |
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幼少より父・高経の偏愛を受け、父の後見と推薦もあって13歳にして幕府管領職に就任する。後に父の失脚と同じくして自身も都を追われたが、まもなく復権し、政敵の細川頼之を康暦の政変にて失脚させると管領に再任。以後、足利義満・足利義持と2代の室町将軍を補佐し、およそ30年間にわたって幕府の重鎮であり続け、斯波氏の最盛期を築いた。