正親町三条公秀
鎌倉時代後期の公卿。正二位内大臣。母は僧聖海の娘。子に正親町三条実数(左中将)、融観(椎野)、了空(報恩院) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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正親町三条 公秀(おおぎまちさんじょう きんひで、旧字体:正親町三條 公󠄁秀)は、鎌倉時代後期の公卿。正二位内大臣。正親町、または八条と号す。父は権大納言正親町三条実躬、母は僧聖海の娘。
概要 凡例正親町三条公秀, 時代 ...
時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 弘安8年(1285年) |
死没 | 貞治2年/正平18年8月2日(1363年9月9日) |
改名 | 公秀→禅定(法名) |
官位 | 正二位、内大臣、大宰権帥 |
主君 | 亀山上皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流正親町三条家 |
父母 | 父:正親町三条実躬、母:僧聖海の娘 |
兄弟 | 公秀、光明天皇後宮 |
子 | 実継、実音、実数、秀子、女子(四辻実郷の室、四辻季顕の母)、融観、了空 |
特記 事項 | 崇光天皇・後光厳天皇の外祖父、大正天皇の祖 |
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崇光天皇と後光厳天皇は孫(秀子の子)にあたり、正親町三条家を継いだ実継の子孫にも大正天皇がいるなど、以後、正親町三条家は皇室と深い関わりを持つことになる。