河野通久
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この項目では、室町時代の守護大名について説明しています。鎌倉時代前期の同名の人物については「河野通久 (鎌倉時代)」を、長崎税務署長などを歴任した官僚については「河野通久 (官僚)」をご覧ください。 |
河野 持通/通久(かわの もちみち/みちひさ)は、室町時代中期の武将。伊予の守護大名。
概要 凡例河野持通 / 河野通久, 時代 ...
時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永享7年6月29日(1435年7月24日) |
改名 | 持通(初名)→通久 |
別名 | 四郎 |
戒名 | 瑞雲院殿春峯道三大禅定門 |
官位 | 刑部大輔 |
幕府 | 室町幕府伊予守護 |
氏族 | 河野氏 |
父母 | 父:河野通義 |
子 | 通生、教通 |
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初めは室町幕府の将軍・足利義持の偏諱を受けて持通と名乗っていたが、のちに鎌倉時代の当主に肖って通久に改名(これは義持の死後に「持」の字を避けるために行われたものと推測される)。