田中静壱
ウィキペディア フリーな encyclopedia
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。
概要 田中 静壱, 生誕 ...
田中 静壱 | |
---|---|
陸軍中将時代の田中静壱 | |
生誕 |
1887年10月1日 日本 兵庫県 |
死没 |
(1945-08-24) 1945年8月24日(57歳没) 日本 東京都 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1907 - 1945 |
最終階級 | 陸軍大将 |
テンプレートを表示 |
閉じる
子息には光祐(陸士46期)、俊資(48期)、祐輔(51期)、静雄(53期)がおり、いずれも陸軍少佐(終戦時)であった。また、第三次ソロモン海戦にて戦艦「比叡」艦長として戦った海軍大佐西田正雄(海兵44期)は義弟である。田中、西田両名とも陸大・海大の軍刀組であったことから、『郷土龍野の誉れ』と地元の新聞にその逸材ぶりを報道された。