第二次スーダン内戦
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第二次スーダン内戦(だいにじすーだんないせん)は、1983年に当時のヌメイリ政権が国政にイスラム法を導入したことに南部の非アラブ系住民(大半が黒人でアニミズム、一部キリスト教徒)が反発し勃発したスーダンの内戦である。2005年までほぼ22年間続いたことから約250万人が犠牲になり、400万人以上が国内避難民になり、80万人以上が隣国への難民となった。この内戦で、南部のヌエル族やディンカ族の子どもたち約2万人が居住地を追われて孤児となり、ロストボーイズ・ロストガールと呼ばれる集団避難民となった。
概要 第二次スーダン内戦, 時 ...
第二次スーダン内戦 | ||||||||
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衝突した勢力 | ||||||||
スーダン政府軍(北部スーダン)
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| ヌエル白軍(英語版)(ヌエル族) | ||||||
指揮官 | ||||||||
ガアファル・ヌメイリー サーディク・アル=マフディー オマル・アル=バシール |
ジョン・ガラン サルバ・キール・マヤルディ | リエック・マチャル | ||||||
被害者数 | ||||||||
死者190万人(大半が市民、飢餓と旱魃による) |
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