長享・延徳の乱ウィキペディア フリーな encyclopedia この項目では、室町幕府と六角氏の戦いについて説明しています。山内上杉家と扇谷上杉家の戦いについては「長享の乱」をご覧ください。 長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。
この項目では、室町幕府と六角氏の戦いについて説明しています。山内上杉家と扇谷上杉家の戦いについては「長享の乱」をご覧ください。 長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。