1974年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第71回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1974年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第71回ワールドシリーズ(だい71かいワールドシリーズ、71st World Series)は、10月12日から17日にかけて計5試合が開催された。その結果、オークランド・アスレチックス(アメリカンリーグ)がロサンゼルス・ドジャース(ナショナルリーグ)を4勝1敗で下し、3年連続8回目の優勝を果たした。
概要
1974年のワールドシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月12日–17日 | ||||||
観客動員 | 5試合合計:26万0004人 1試合平均:05万2001人 | ||||||
MVP | ローリー・フィンガーズ(OAK) | ||||||
ALCS | OAK 3–1 BAL | ||||||
NLCS | LAD 3–1 PIT | ||||||
殿堂表彰者 | ローリー・フィンガーズ(OAK投手) キャットフィッシュ・ハンター(OAK投手) レジー・ジャクソン(OAK外野手) ウォルター・オルストン(LAD監督) トミー・ラソーダ(LADコーチ) ドン・サットン(LAD投手) ダグ・ハーヴェイ(審判員) | ||||||
チーム情報 | |||||||
オークランド・アスレチックス(OAK) | |||||||
シリーズ出場 | 3年連続11回目 | ||||||
GM | チャーリー・O・フィンリー | ||||||
監督 | アルヴィン・ダーク | ||||||
シーズン成績 | 090勝72敗・勝率.556 AL西地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり2万2219.09ドル[1] | ||||||
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ロサンゼルス・ドジャース(LAD) | |||||||
シリーズ出場 | 8年ぶり14回目 | ||||||
GM | アル・キャンパニス | ||||||
監督 | ウォルター・オルストン | ||||||
シーズン成績 | 102勝60敗・勝率.630 NL西地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり1万5703.96ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | NBC | ||||||
実況 | カート・ガウディ | ||||||
解説 | トニー・クーベック(全試合) ビン・スカリー(第1・2戦) モンテ・ムーア(第3~5戦) | ||||||
平均視聴率 | 25.6%(前年比5.1ポイント下降)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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両チームの対戦はシリーズ史上初めて。また、カリフォルニア州を本拠地とする球団どうしの対戦も初めてだった[3]。アスレチックスのシリーズ3連覇は、1936年〜1939年および1949年〜1953年のニューヨーク・ヤンキースに次ぐ、史上2球団目・3例目の記録である[4]。シリーズMVPには、第5戦の最後を2イニング無失点で締めて優勝決定のセーブを挙げるなど、4試合9.1イニングで1勝2セーブ・防御率1.93という成績を残したアスレチックスのローリー・フィンガーズが選出された。
MLBにおいて指名打者(DH)制度は、1973年にアメリカンリーグでのみ導入された。しかしワールドシリーズでは、同年から1975年までの3年間、DH制は一切採用されていない[5]。その結果、今シリーズ第4戦ではアスレチックスの先発投手ケン・ホルツマンが本塁打を放った[6]。ワールドシリーズでの投手による本塁打は、このあとは2008年シリーズ第4戦のジョー・ブラントンまで34年間途絶えることとなる。