エゼルバルド (マーシア王)
8世紀マーシアの王 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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エゼルバルド(Æthelbald[注 1]、757年没)は、8世紀マーシア王国の王。アルウェオの息子でエオワの孫。716年に従兄弟ケオルレッド王が急死した後マーシアに帰還し、王位に就いた。エゼルバルドはその後約40年間王位を保ち、その間マーシアはかつてのペンダ王(在位626-655年)やウルフヘレ王(在位658-675年)の頃の隆盛を取戻してアングロサクソン七王国の中で支配的な地位を築いたが、757年衛兵に暗殺された。
エゼルバルドが即位した頃、ウェセックス王国にはイネ、ケント王国にはウィトレッドという強力な王がいたが、年代記者ベーダの記述するところではエゼルバルドは王となってから15年経った731年にはハンバー川以南のイングランド南部すべてを掌中に収めたという。『アングロサクソン年代記』はエゼルバルドをブレトワルダ、つまり「ブリタニアの支配者」の一人には挙げていないが、これはこの『年代記』がウェセックス人によって書かれたことが理由とみられる。
ウェセックス生まれでゲルマニアで司教となった聖ボニファティウスは、745年の書簡でエゼルバルドの放埓で反宗教的な振る舞いを非難している。その後747年のクロブショー教会会議を経て749年にガムリーで発布した勅許状においてエゼルバルドは教会の義務を免責したが、これはボニファティウスの書簡への対応であった。757年、一説には相続を巡る争いによって、衛兵によって殺害され、死後ベオルンレッドという人物が王位に就いたが同じ年のうちにエゼルバルドの従兄弟エアンウルフの孫にあたるオファが内戦を経て王位を奪い、オファの下でマーシアは最盛期を迎えた。