カティンの森事件
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カティンの森事件(カティンのもりじけん、ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦のスモレンスク近郊に位置するカティンの森(ロシア語版)などで約22,000人[1]又は25,000人[2]のポーランド軍将校、国境警備隊隊員、警官、一般官吏、聖職者が、ソビエト内務人民委員部(NKVD)によって虐殺された事件[3]。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。
概要 カティンの森事件, 場所 ...
カティンの森事件 | |
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ソビエト連邦によるポーランド侵攻(第二次世界大戦中)とソビエト連邦によるポーランド国民への弾圧(英語版)中 | |
ドイツ国防軍によって発掘された犠牲者の遺体(1943年撮影) | |
場所 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国スモレンスク近郊カティンの森(ロシア語版、英語版)、カリーニン ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ハリコフの捕虜収容所など |
日付 | 1940年4月-5月 |
標的 | ソビエト連邦によるポーランド侵攻で捕虜となったポーランド軍将校、国境警備隊隊員、警官、一般官吏、聖職者 |
攻撃手段 | 戦争犯罪(捕虜殺害) |
死亡者 | 22,000 |
犯人 | ソビエト連邦内務人民委員部(NKVD) |
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NKVD長官ラヴレンチー・ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長であるヨシフ・スターリンと政治局の決定で実行された[4][5][6][7]。カチン(Katyń)とも表記される。