グノーシスのミサ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
グノーシス・ミサ(The Gnostic Mass、専門的には Liber XV、すなわち『第十五の書』と称される)は、アレイスター・クロウリーがモスクワに旅行中の1913年に書いた儀式である。構成において多くの点で東方正教会の聖体礼儀に類似しているが、グノーシス・ミサはセレマの諸原理の祝典というところが根本的な違いである。儀式は5人の司官を必要とする。司祭、女司祭、助祭、「子等」と呼ばれる二人の侍者である。儀式の終盤は聖餐(ワイン〔葡萄酒〕および光のケーキと呼ばれるホスチア〔聖餅〕)の相伴において頂点に達し、その後、会衆は「わが身に神々のものならざる部分なし」と宣言する。
東方聖堂騎士団とその聖職部門であるグノーシス・カトリック教会の中心儀礼である。
クロウリーはグノーシス・ミサを書いた理由を Confessions 〔自伝『アレイスター・クロウリーの告白』〕の中でこう説明している。
このことを論じる上で、そのねらいとするところを説明し尽くしておいた方がよいだろう。人間の本性は(大抵の人の場合)宗教的衝動の充足を求めるが、大多数の人にとってこれは儀式的な手段によって最もよく成しうるだろう。だから私は、人々が必ず適切な儀式の影響下で行えば法悦に達し得るというような儀式を構築しようと思った。近年、この目的を達するのに失敗することが増えてきている。というのも〔現代の〕人々にとって既成宗派は知的信念を愕然とさせる常識破りのものであるからだ。かくて彼らの精神は〔宗教的〕熱狂というものに批判的になり、個の魂と普遍的魂との合一を達成することができない。これは、愛というものが知的には非合理的な思い込みであろうとも、愛するひとのことが四六時中頭から離れないようでなくては花婿は結婚を果たすことができない、というのと同じである。
私はこの儀式を、議論の余地のある形而上学的理論を導入することなく宇宙的諸力のはたらきの崇高性を讃えるものにしようと決めた。自然というものについて、最も唯物論的な科学主義者には支持されないであろう何らかの〔真理の〕表明を行ったり暗に示したりするつもりはなかった。表面的には困難なように思えるが、実際には、現象についての極めて厳密な合理的概念と、その〔自然現象の〕崇高性を極めて高尚かつ熱狂的に讃えることとを両立させるのは全く簡単なことであった。[1]
クロウリーはグノーシス・ミサのテキストを三度発表した。『インターナショナル』誌という出版物(1918年)、『春秋分点』第3巻1号(1919年)、『魔術 理論と実践』(1929年)である。ミサはクロウリーがテレマ僧院にいる間は非公開で行われ、1933年3月19日にカルフォルニア州ハリウッドの最初のアガペー・ロッジでウィルフレッド・T・スミスとレジナ・カールによって初めて公開で挙行された。