ナゴルノ・カラバフ自治州
ソビエト連邦内アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国のナゴルノ・カラバフに設置されていた民族自治州 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ナゴルノ・カラバフ自治州(ナゴルノ・カラバフじちしゅう、ロシア語: Нагорно-Карабахская автономная область, アルメニア語: Լեռնային Ղարաբաղի ինքնավար մարզ, アゼルバイジャン語: Дағлыг Гарабағ Мухтар Вилајәти)は、ソビエト連邦内アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国のナゴルノ・カラバフに、1923年から1991年まで設置されていたアルメニア人のための民族自治州である。
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古くからアゼルバイジャン人とアルメニア人の間で係争地となっていたナゴルノ・カラバフは、1920年代初頭にその一帯が共産化してからも、ボリシェヴィキの間で帰属先についての見解は分かれていた。やがて曲折の末にナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンへ帰属することとなり、それと引き換えに住人の大多数であるアルメニア人には自治権が与えられることとなった。こうして1923年にナゴルノ・カラバフ自治州は成立したが、その実態をめぐっては両民族の間でなおも論争がある。
やがて1980年代末のペレストロイカ時代になると、棚上げされていた帰属問題が再燃し、アルメニア人は自治州とアルメニアとの統合を求めて活動を開始した。しかし、これに反発するアゼルバイジャン人との衝突は遂に多数の死者を出すまでに発展し、ナゴルノ・カラバフ戦争へとつながっていった。そして、ソビエト連邦の崩壊に際して自治州のアルメニア人は「ナゴルノ・カラバフ共和国」を自称し、アゼルバイジャンから事実上独立するに至った。