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木管楽器のひとつ ウィキペディアから
今日一般にフルートというと、銀色または金色の金属製の筒に複雑なキー装置を備えた横笛、つまりコンサート・フルートを指すが、古くは広く笛一般を指していた。ルネサンス音楽からバロック音楽の時代にあっては、単にフルートというと、現在一般にリコーダーと呼ばれる縦笛を指し、現在のフルートの直接の前身楽器である横笛は、「トラヴェルソ(横向きの)」という修飾語を付けて「フラウト・トラヴェルソ」と呼ばれていた[3]。17世紀後半のフランス宮廷で、ジャック=マルタン・オトテールとその一族が改良した横笛フルートが高い人気を博し、その後ドイツやイタリアにも広まったため、表現力に劣る縦笛は次第に廃れてしまい、フルートといえば横笛を指すようになったのである。かつてはもっぱら木で作られていたにもかかわらず、現在は金属製が主流となっているが、フルートは唇の振動を用いないエアリード式の楽器なので、金属でできていても木管楽器に分類される[1]。
現代のフルート(モダン・フルート)は、バス・フルートなどの同属楽器と区別する場合、グランド・フルートまたはコンサート・フルートとも呼ばれ、通常C管である。19世紀半ばに、ドイツ人フルート奏者で楽器製作者でもあったテオバルト・ベームにより音響学の理論に基づいて大幅に改良され[4]、正確な半音階と大きな音量、精密な貴金属の管体、優美な外観を持つに至った。このドイツ生まれのフルートは、最初にフランスでその優秀性が認められ[5]、ついには旧式のフルートを世界から駆逐してしまった。今日単にフルートと言った場合は、例外なく「ベーム式フルート」のことである。
フルートはキーを右側にして構え、下顎と左手の人さし指の付け根、右手の親指で支える(三点支持)。両肩を結ぶ線と平行に持つのではなく、右手を左手より下方、前方に伸ばす。奏者は正面ではなくやや左を向き、右に首をかしげて唇を歌口に当てる。
発音にリードを用いないため、ほかの管楽器よりもタンギングの柔軟性は高い。運動性能も管楽器の中では最も高く、かなり急速な楽句を奏することも可能である。音量は小さい方であるが、高音域は倍音が少なく明瞭で澄んだ音なので、オーケストラの中にあっても埋もれることなく聞こえてくる。フルートの音色は鳥の鳴き声を想起させることから、楽曲中で鳥の模倣としても用いられる。有名でわかりやすい例として、サン=サーンスの組曲『動物の謝肉祭』の「大きな鳥籠」、プロコフィエフの交響的物語『ピーターと狼』などが挙げられる。
主にクラシック音楽の分野で用いられるが、ジャズやロックなど、他の音楽ジャンルで使用されることもある。しかし、ジャズ専門のフルート奏者は少なく、サクソフォーンなどのプレイヤーが持ち替えるか、クラシックとジャズの両方で活動するというケースが多い。
フルートを広義にとらえて、「リードを用いず、管などの空洞に向かって息を吹き付けて発音する楽器」とするならば、最も古いものとしては、およそ4万年前のネアンデルタール人のものと推定されるアナグマ類の足の骨で作られた「笛」がスロヴェニアの洞窟で発見されている。また、ほぼ同じ頃現生人類によって作られたと推定される、ハゲワシの骨でできた5つの指穴のある笛が、ドイツの洞窟で発見されている。それほど古いものでなくとも数千年前の骨で作られた笛は各地から出土しており、博物館などに収められている。しかし、世界各地で用いられていた原始的な笛は、ギリシャ神話の牧神パンが吹いたとされるパンフルートのような葦などで作られた縦笛か、オカリナのような形状の石笛(いわぶえ)や土笛がほとんどであった。
それでは、現在我々が使用しているフルートにつながる横向きに構える方式の笛が、いつどこで最初に用いられたのかというと、これも確かなことはわかっていないが、一説には紀元前9世紀あるいはそれ以前の中央アジアに発祥したといわれており、これがシルクロードを経て中国やインドに伝わり、さらに日本やヨーロッパにも伝えられていったと考えられている[5]。奈良・正倉院の宝物の中に蛇紋岩製の横笛があり[6]、東大寺大仏殿の正面に立つ国宝の八角灯籠には横笛を吹く音声菩薩(おんじょうぼさつ)の像がある[7]ことなどから、奈良時代までに日本にも伝わっていたことは明らかである。
西洋では、現在リコーダーと呼ばれている縦笛が古くから知られており、当初はこちらが「フルート」と呼ばれていた。12-13世紀ごろに東洋から6孔の横笛が入り、縦笛の技術を応用して作られたものが主ににドイツ地方で使われ、「ドイツの笛」と呼ばれていた(ドイツでの呼び名は「スイスの笛」)[8]。13世紀になるとフランスに、「フラウスト・トラヴェルセーヌ(フランス語: flauste traversaine;「横向きのフルート」の意)」といった名称が散見されるようになる[9]。ルネサンス期に入っても、ヨーロッパでは横笛はあまり一般的な楽器ではなく、軍楽隊や旅芸人などが演奏するだけのものであった。16世紀に入る頃から、市民の間で行われるコンソートと呼ばれる合奏の中で、横笛も次第に使われ、教科音楽でも用いられるようになった。左図はオーストリアのローラウ城ハラッハ伯爵家所蔵の『喜びを与えん』と題する絵画で[5][10]、横笛とリュート、歌唱によるブロークン・コンソートの様子が描かれている。この絵の横笛はテナーであるが、マルティン・アグリコラの「Musica instrumentalis deudsch」(1529)[11]にあるように、他にもソプラノ、アルト、バスといった種類があり(ただし16世紀半ばにはアルトはテナーに吸収されている)、これらを持ち替えながら演奏を行い、ホール・コンソートも行われていた。現在では、このような横笛を「ルネサンス・フルート」と呼んでおり[5]、古楽器として今も復元楽器が製作されている。
少数がイタリアのヴェローナなどに残っているオリジナルの物は、木製の管で、内面は単純な円筒形ではなく、複雑な波型になっており、外面は歌口側がやや太い円錐形である。基本的に一体成型されて分割できないものが多いが、大型のバス・フルートなどには2分割構造のものもある。テナーの横笛の最低音はD4で、D-dur(ニ長調)の音階が出せるように作られており、いわゆるD管である。トーンホールが6つ開いているだけのシンプルな構造なので、キーを必ず右側にして構えるモダン・フルートとは異なり、左側に構えることもできる。軽快によく鳴るが、音域によって音量や音色がかなり変化する[5]。アグリコラの著作に記された運指法では半音は指孔半開で出せると記されているが、通常の演奏で半音を出すのはかなり難しい(内部が円筒形の復元楽器ではなく、オリジナルの物は内径の形状によっては半音が比較的出しやすいものもある[12])。
17世紀初頭から始まったバロック時代、ルネサンス・フルートはピッチの調節ができない上、半音を出すのが苦手で、低音と高音の音色の違いが大きいといった欠点があったため、この時代に隆盛し始めた宮廷音楽では用いられなかった。17世紀は横笛にとって雌伏の時代であり、新たな工夫が加えられた横笛が改めて人気を博するのは、ジャック・オトテールとその一族がフランスでフルートを改良して広めた1680年代以降のことである[5]。
この時代も、単に「フルート」といえば縦笛(リコーダー)のことであり、現在のフルートの原型となった横笛はイタリア語で「フラウト・トラヴェルソ、フランス語で「フリュートトラヴェルシエール flute traversiere」、ドイツ語で「クヴェアフレーテ Querflote」すべて(横向きのフルート」の意)と呼ばれていた[5][10]。省略して単に「トラヴェルソ」とも呼ばれ、現代では「バロック・フルート」と呼ぶこともある。ソプラノからバスまでを使い分けたルネサンス・フルートと異なり、バロック・フルートの多くは、テナーのD管であり、次のような点がルネサンス・フルートと異なっている[5][13]。
こうした改良によって高い表現力を身に着けた横笛は、オトテールとその一族が仕えるルイ14世の王宮で人気を得て、次第に縦笛に取って代わる存在となっていった。フランス音楽の受け入れに積極的だったドイツの宮廷ではフランスのフルート奏者を好んで雇用するようになり、そこからドイツ人のフルート奏者も育っていった。その代表例がザクセン選帝侯の宮廷に仕えたフランス人フルート奏者のピエール=ガブリエル・ビュファルダンと、ビュファルダンの勧めでフルートと奏者となったヨハン・ヨアヒム・クヴァンツである[5]。
当時のフルートは最低音はD4、最高音はE6までというものが一般的であるが、B6までの運指が知られており[14]、A6あたりまでは出しやすい楽器もある。D管であるが、楽譜は実音で記譜され、移調楽器ではない。多様な音色を持ち、繊細で豊かな表現が可能であることから、バロック・フルートは今日なお復元楽器が多数製作されている。
しかし、キーが設けられた半音は出しやすくなったものの、それ以外の半音は相変わらずクロスフィンガリングによって出す弱々しく不安定な音なので、長調について考えると、五度圏の図でD-dur(ニ長調)と隣り合うG-dur(ト長調)とA-dur(イ長調)は比較的大きな音量で演奏できるが、ニ長調から遠い調の曲をバロック・フルートで演奏するのは容易なことではない[5]。
18世紀半ばから19世紀前半にあたる古典派の時代になると、より多くの調に対応できるよう、不安定な半音を改善するために新たなトーンホールを設けて、これを開閉するキーメカニズムを付け加えたり、高音域が出しやすいよう管内径を細くするといった改変が行われた。キーメカニズムを用いて、D管のままではあるが最低音がC4まで出せるフルートも作られるようになった[5]。これらの楽器もフラウト・トラヴェルソに含まれるが、バロック時代の「バロック・フルート」と区別して、「クラシカル・フルート」「ロマンチック・フルート」と呼ぶこともある。この時代になると、表現力に劣る縦笛(リコーダー)は廃れてしまい、フルートといえば横笛を指すようになった。
キーが追加されるに従って、クロスフィンガリングを用いずに出せる半音が増えていき、音は明るさや軽やかさを増したが、対称性が崩れたため、左側に構えることはできなくなった。管体は相変わらず円錐形で木製のものが多く、最高音はA6あたりであるが、中にはC7付近まで出るものもある。最低音がD4の6キー・フルート(右図)や、最低音がC4の8キー・フルートなどには全ての半音を出すキーが備わっているが、Esより下のキーを除いて全て「常時閉」であり、「必要なときだけ開ける」方式であった。
クロスフィンガリングが不要になったのは大きな進歩に違いないが、これらは当時の楽器製作者たちが、それぞれの考えに基づいて改良していったため、操作法が統一されていない上、運指も複雑となって運動性能が良いとは言い難く、必ずしも十分な効果が得られたわけではない。このような多キーのフルート(多鍵式フルート)は主に産業革命期のイギリスで開発されたのであるが、イギリス以外の国ではバランスの悪い不細工な楽器とみなす傾向が強く、1795年に創設されたパリ音楽院では、初代フルート教授となったフランソワ・ドゥヴィエンヌ(1759年 - 1803年)が亡くなるまで、1鍵式フルート以外の使用が認められなかった[5]。
こうしたフルート乱開発の時代に終止符を打ったのがテオバルト・ベームである。
1820年ごろから活躍していたイギリス人フルート奏者 C. ニコルソン(Charles Nicholson 1795年 - 1837年)は、その手の大きさと卓越した技術によって通常よりも大きなトーンホールの楽器を演奏していた。ドイツ人フルート奏者で製作者でもあったテオバルト・ベームは、1831年にロンドンでニコルソンの演奏を聴いてその音量の大きさに衝撃を受け、自身の楽器の本格的な改良に着手した[4][5]。
1832年に発表されたモデルは以下のようなものである。
このモデルはいわゆるGisオープン式であったが、通気を損なうことなく運指が容易になるGisクローズ式に改変されたタイプがフランスで用いられるようになった。管体はまだ木製で円錐形のままであったことから、今日では「円錐(コニカル)ベーム式フルート」などと呼ばれている。
ベームはその後も、50歳を過ぎてから大学で音響学を学ぶなど研究を続け、1847年に次のようなモデルを発表した。
このモデルもGisオープン式ではあったが、現在のフルートとほとんど変わらず、極めて完成度の高いものであった。これ以降今日までに加えられた大きな改変は、イタリアのジュリオ・ブリチャルディ(Giulio Briccialdi 1818年 - 1881年)により、フラット(♭)系の調を演奏するのに便利な、いわゆるブリチャルディ・キーが付け加えられたことと、より運指が容易なGisクローズ式が主流となったこと程度である。
今日の最も一般的な C足部管付きベーム式フルートにはトーンホールが16個あり、キーは数え方によるが、指が直接触れるものだけを数えると15個である。これらが右手親指を除く9本の指で操作できるようになっている。後述のように、キーメカニズムの関係でベーム式フルートにも鳴りにくい音はあるが、ほとんどの音は良い音程で確実に鳴る。
ベーム式フルートは、最初にフランスでその優秀性が認められ、次いでイギリスでも使われるようになったが、発祥の地であるドイツでは20世紀に入るまで受け入れられなかった。旧来のフルートとは運指が異なることに加えて、この頃のドイツ音楽界に大きな影響力を持っていたワーグナーがベーム式フルートの音色を嫌ったことも、ドイツでの普及を妨げた大きな要因といわれている[5][10]。
ベームが1847年に発表したフルートは、現在のカバードキー型のフルートとほとんど変わらないものの、Gisオープン式であって、外観も少々武骨な印象である。しかし、フランスの楽器製作者であるヴァンサン・イポリト・ゴッドフロワやルイ・ロットらの手によって、前記の円錐ベーム式フルートとは異なる新しい構造のリングキーを採用した、いわゆるフレンチスタイルのフルートが生み出されると共に、より運指が容易なGisクローズ式に変更され、意匠面も細部にわたって改良が施された。こうしてモダン・フルートは、今日見るような洗練された優美な姿となったのである。
1860年にパリ音楽院教授となったルイ・ドリュによって学院の公式楽器に認定[5]されると、アンリー・アルテ(アルテスとも)、ポール・タファネル、フィリップ・ゴーベール、マルセル・モイーズらフルート科教授によってその奏法の発展と確立がなされ、ドビュッシー、フォーレをはじめとする作曲家たちが多くの楽曲を書いた。それまでは装飾的・限定的に使われていたビブラートも積極的に採り入れた演奏様式を確立してフランス楽派と呼ばれ、フランスは一躍フルート先進国となったのである。アルテの著した教則本は、今なお最も有名なモダン・フルートの入門書である。
一方、ドイツやオーストリアでは、金属製フルートの大径トーンホールから出る倍音を豊かに含む音色を好ましく思わないながらも、ベーム式メカニズムの長所は認めざるを得ず、20世紀に入る頃には管体は木製だがメカニズムはベーム式という折衷型の楽器が用いられるようになると共に、金属製のフルートも徐々にではあるが使われるようになった。しかし、ドイツの H.F.メイヤーによって開発された、トーンホールの径を大きくして音量を増すなどの改良が加えられた多鍵式・円錐管・旧式運指のメイヤー式フルートも、多くのメーカーによって模倣され、フランスを除くヨーロッパやアメリカでは、1930年代まで使われていた[5]。
ベーム式フルートも、改良の余地がないほど完璧なものではないので、その後もフルートの改良はさまざまな形で試みられ、中には商品化に至ったものもあるが[10]、ベームの基本設計を凌駕するほどのものは今日に至るも現れていない。ベーム式フルートはその地位を確固たるものとし、フレンチスタイルの登場以降は構造面に特段の変化はないが、奏法の面で大きな発展が見られる。
第二次世界大戦前から知られる特殊奏法としては、巻き舌によるフラッターツンゲやハーモニクス奏法がある。戦後はレコードの普及や放送技術の発展とともに、ランパルがソリストとして活躍し、フルートの魅力を世界中に示すこととなった。またモイーズが、教育者としてカリスマ的といえるほどの影響力を長い間保ち続けたこともあって、世界中でフランス風の演奏スタイルが大きく広まっており、ビブラートを常にかけるのが一般的であるが、クラシック音楽においては今なおビブラートを乱用しない演奏スタイルも好まれる。前述の通り、ドビュッシーはフルートにおけるレパートリー拡張の第一人者であるが、中でも独奏曲『シランクス』はフルート独奏のための曲として歴史上重要な位置を占めている。エドガー・ヴァレーズは『密度21.5』において、キー・パーカッションと呼ばれるアタックの音の変化を求めた特殊奏法を開発し、また超高音域を執拗に求めて、演奏における音域の拡張に成功した。
現代音楽では、まずフルート奏者のブルーノ・バルトロッチが重音奏法を体系化した教本を出版し、またピエール=イヴ・アルトーやロベルト・ファブリッツィアーニなどその他多くのフルート奏者、またサルヴァトーレ・シャリーノらの作曲家によって息音を含む奏法、ホイッスルトーン、タングラム、リップ・ピッツィカートなど新しい奏法も次々と開発された。ルチアーノ・ベリオの『セクエンツァI』などの優れた曲は現在も「古典」として多くの奏者によってコンサートや教育現場で取り上げられ、聴衆にも親しまれている。
フルートの発音原理に関しては、大きく分けて二つの説が存在する[2][15][16]。一つ目の説は、唇から出る空気の束(エアビーム)を楽器の吹き込み口の縁(エッジ)に当てることでカルマン渦が発生し、これがエッジトーン(強風のときに電線が鳴るのと同じ現象)を生じて振動源になるというもの。二つ目の説は、エアビームの吹き込みによって管の内圧が上昇し、これによってエアビームが押し返されると空気が抜けて内圧が低下し、再びエアビームが引き込まれるという反復現象が発生して、これが振動源になるとするものである。いずれにせよ、発生した振動に対し、管の内部にある空気の柱(気柱)が共振(共鳴)して音が出る。トーンホールを開閉すると、気柱の有効長が変わるので共振周波数が変化し、音高を変えることができる。
コンサート・フルートの基本的な音域はC4(中央ハ)から3オクターヴ上のC7までであるが、H足部管を用いれば最低音がB3となる。最低音からC#5までは基音であるが、D5以上の音は倍音を用いて発生させる。チューニングする(他の楽器とピッチを合わせる)際には、オーケストラではA5を、吹奏楽ではB♭5を用いる。音域は便宜上下記のように分けることが多いが、これは絶対的なものではなく、例えばC6を中音域とするか高音域とするかは時と場合によるし、稀には中音域と高音域をまとめて(中・高音域と呼ぶべきところを省略して)高音域と呼ぶこともある。
標準的な運指を用いた場合の倍音モードの概略は下記の通りである。例えばC7はC4の第8倍音であるが、息の圧力で第8倍音を出すことは難しいので、左手はCとGis、右手はF以下のトーンホールを開けてやる(Esは閉じた方が良い[17])ことにより、C5の第4倍音かつG#4の第5倍音かつF4の第6倍音として発生させている。第3倍音、第5倍音、第6倍音によって出す音は、多少なりと平均律からのずれが生ずることなどもあって、高音域の音程はあまり良くない。
C4 - C#5:基音(H足部管の場合はB3も含む) D5 - C#6:第2倍音 D6 :第2倍音、第3倍音 D#6 - B6:第3倍音、第4倍音、第5倍音(音により異なる) C7 :第4倍音、第5倍音、第6倍音
モダン・フルートは、すべての木管楽器の中で最も論理的に設計されている[15]が、さまざまな制約から妥協せざるを得ない部分もあるので、特に高音域には上記のように問題が多い。これらを完全に解消することは、設計上どのような工夫を以ってしても不可能であり、最後はアンブシュアの微妙な調節や特殊運指の使用など、奏者の技術に委ねられている[18]。
一般的なコンサート・フルートは、管体が頭部管・胴部管・足部管の3分割構造になっており、保存・携帯時は分解し、演奏時に組立てる。頭部管を胴部管に挿入する深さを変化させることにより全体の音高が変わるため、他の楽器とピッチを合わせる(チューニングする)ことができる。同じベーム式フルートでもフランスを起源とする流派と、ドイツ・オーストリアの伝統とでキー配列、キー構造に違いがあり、フランス流ではキー配置が「インライン」、キーは「リングキー」、足部管は「H足部管」、ドイツ・オーストリア流ではキー配置が「オフセット」、キーは「カヴァードキー」、足部管は「C足部管」と分かれている。日本ではプロの演奏家や音大生は前者のフランス流を、アマチュア奏者は後者を用いる傾向にある[19]。
歌口の部分で内径17mm、胴部管と接続する部分で内径19mmの略円錐形である。歌口に近い方の端がヘッドスクリューで塞がれている。管内の歌口に近い位置に反響板(反射板)があり、ヘッドスクリューと連結されている。反響板の位置は歌口の中央から17mmが適切であり、ここからずれているとピッチに支障がある。
歌口は楕円形ないし小判形(角の丸い矩形)であるが、メーカーによって異なり、断面も微妙な形状に成形されている。この部分はフルートの音色・音量・発音性などに大きく影響する[2]ので、形状の異なる複数の頭部管を製作しているメーカーもあり、頭部管だけを専門に作るメーカーもある。
内径19mmの円筒形で、頭部管に近い位置に比較的小さなトーンホールが3つと、より大きなトーンホールが10個、管体上面および側面にある。トーンホールが指で押さえられないほど大きく、またその数が指よりも多いため、一部が互いに連結されたキーシステムによってトーンホールを開閉する。キーの裏側には後述のタンポ(パッド)が組み込まれており、トーンホールを閉じた際の気密性を確保している。
ベーム式のフルートのキーの配列は大別して「インライン」と「オフセット」の二種類がある。
両者の中間となるハーフオフセットの楽器もある。オフセットの方がキーを押さえやすいが、インラインはポスト(メカニズムの先端部分[20])が広い分多少開放的な音色になる。大きな違いではないので、楽器の購入の際にどのタイプを選ぶかは奏者の好みや手の大きさにより、初心者向けか上級者向けかといった区別はなく、構造上大きな優劣の差はない。
カバードキーで最も一般的に使われているタンポは、フェルトにフィッシュスキン[注 6]を巻いたものである。これは金属のフルートをテオバルト・ベームが開発した時代から変わっていない。その他、ゴム、シリコーン、コルク等を用いているものもある。
フルートは、タンポとトーンホールの間に「髪の毛1本の隙間があっても音が鳴らない」と言われており、調整には高い技術が必要である。 調整する際には、調整紙と呼ばれる、薄いドーナツ状の形状の紙をタンポの裏側に入れる。
足部管は胴部管と同じ内径の円筒形で、3つまたは4つのトーンホールを持つ。
Gisトーンホールを1つだけ持つものがGisオープン式、Gisトーンホールを2つ持つものがGisクローズ式で、ベームが製作した楽器はGisオープン式であったが、今日ではGisクローズ式が主流である。
Gisオープン式の場合、Gisトーンホールが1つですみ、後述のEメカニズムを設ける必要も無いのでコスト面で有利である上、小指を押すとG、放すとG#が出る(音程が上がる)ので、運指としても自然である。つまり、一見Gisオープン式の方が、いわゆる「理にかなった」構造のように思える。ところが実際に演奏すると、Gisオープン式ではほとんどの音で左手小指を薬指と同じに動かさねばならず、Gisクローズ式より小指が忙しくなって運指が難しい。この点がGisクローズ式が広く世界に普及した大きな理由である。
今日主流となっているGisクローズ式のフルートでは、第3オクターヴのホ音(E6)が出しにくく、ピッチが高い場合が多い。E6はE4の第4倍音であると同時にA4の第3倍音なので、右手はEから下のトーンホールを開け、左手はAトーンホールだけ開けてやればよいのだが、Gisクローズ式フルートではキーメカニズムの関係上、Aトーンホールを開けると、常時開のGisトーンホールもいっしょに開いてしまうからである。これを解消するために考案されたのがEメカニズム (Split E mechanism) で、Eメカと略称されることも多い。キーシステムを追加することにより、E6の運指で常時開のGisトーンホールが閉じるようになっており、これによってE6の出しやすさとピッチは改善されるが、一部のトリル運指などが使えなくなるため、標準装備とするメーカーがある一方、オプション扱いとしているメーカーもある。
Gisオープン/クローズいずれのフルートでも、第3オクターヴの嬰ヘ音(F#6)が出しにくい。F#6はF#4の第4倍音で、かつB4の第3倍音であるから、右手はFisから下のトーンホールを開け、左手はHトーンホールのみ開けたいわけだが、キーメカニズムの都合上、Hトーンホールを開けるには、Aisトーンホールも開けざるをえないからである。これを解消するために考案されたのがFisメカニズムであるが、構造の複雑さや耐久性の低さ等の理由から商品化しているメーカーは少ないので、練習によって克服するしかないのが実状である。
B-C#のトリルでは、左手親指と人差し指を同時に動かさねばならない。これを容易にするために考案されたのがCisトリルキーで、Aisレバーの上流に設置され、右手人差し指だけでB-C#のトリルが可能になる。
Cisトリルキーを用いると、B-C#のトリルだけでなく、第3オクターヴのG-A (G6-A6) のトリルも容易になり、弱奏におけるG#6の発音も容易になる。また、通常のCisトーンホールは極端に小さいため、発音の困難、ピッチの不安定、音色の問題を伴うが、Cisトリルキーを用いると、これらの欠点を補うこともできる。
しかし、楽器が重くなる、外観を損なう、取り付け費用が高価であるなどのデメリットもあるため、Cisトリルキーを標準装備するメーカーはほとんどない。
第3オクターヴのG-A (G6-A6) のトリルを容易にするためのキーである。かつてドイツにおいてよく使われたメカニズムであるが、現在では同じ機能をCisトリルキーで実現できる上、前述のように用途も広いためCisトリルキーに取って代わられつつある。
金属製の楽器では、トーンホールが管体から立ち上がってキー(タンポ)と密着しているが、この立ち上がり部分をどのようにして製作するかによる分類で、今日市販されているフルートは、ほとんどドローントーンホールである。
20世紀にアメリカのW.m Haynes社が開発した。
フルートは他の管楽器に比べ、使用する材質のバリエーションが幅広い。当然高価な貴金属製や稀少な素材になるほど値段も高くなる。
ベームを始めとした楽器製作者とメーカー、演奏者の主観でも材質によって音色が異なるとしているが[21][22]、音質に関する限り、管体の材質によって人間に聴き取れるほどの差異が生ずることはなく、ボール紙で作っても音は変わらないとされている[15][23]。なお、以下に述べるのは管体やキーなどの材質であり、キーメカニズムの芯金やねじ、ばねなどには下記と異なる素材も使用される。フェルトやコルクなども部分的に使われている。
フルートは近代音楽や現代音楽において特に特殊奏法が数多く開発された楽器であるが、これらは作曲者や奏者によりさまざまな呼称、技法、記譜法があって、未だ発展途上にある。楽器や奏者により、あるいはそのときの調子によって、狙った通りの効果が得られないこともある。
上記の特殊奏法を組み合わせ、新たな音響を作り出すこともできる(例:フラッター+発声奏法、重音奏法+スラップ・タンギング)。
歴史上初のフルート教則本と呼べるのは1707年に出版されたジャック・オトテールの『フルート、リコーダー、オーボエの原理 ([PrincipesPrincipes de la flute traversiere, de la Flute a Bec, et du Haut-bois,)[24]」である。この本は大部分が横笛のフルート (flute traversiere) のための記述で占められており、ヨーロッパで高い人気を得て、海賊版も多数発行された。1752年に出版されたヨハン・ヨアヒム・クヴァンツの『フルート奏法試論 (Versuch einer Anweisung die Flöte traversiere zu spielen)[25]は同時代のフルート以外の楽器にの関する総括的な著作としても評価が高い。オトテール・クヴァンツ両者ともに優れたフルート奏者・作曲家でありながらフルート制作にも熟達していたという点が共通している[26]。
モダン・フルートの教則本は数多く出版されているが、最も有名なのはパリ音楽院のフルート科教授だったHenry Altès(アンリー・アルテ/アンリー・アルテス)によるものである。
フルート属には次表のようなものがある。これらのうち、コンサート・フルートとフラウト・トラヴェルソは実音楽器であるが、その他の派生楽器は、慣例的に記譜上の音域および運指がコンサート・フルートとおおむね合致するよう移調楽器として扱い、ト音記号を用いて記譜される。
和名 | 記音に対する 実音 |
備考 |
---|---|---|
ピッコロ | 1オクターヴ上 | 足部管を欠いているため、最低音は古来のフルートと同様にニ音(D5)である。稀にDes管もある。 |
G管 トレブルフルート[27] | 完全5度上 | |
F管 ソプラノフルート[28] | 完全4度上 | 古楽器フラウト・トラヴェルソやリコーダー、和楽器篠笛に似た音で、特殊な効果を狙う場合に使用される。 |
Es管 ソプラノフルート[29] (3度管フルート) |
短3度上 | |
フラウト・トラヴェルソ | 同度 | 足部管を欠いているため、最低音は古来のフルート通りD4である。 |
フルート (コンサート・フルート) (グランド・フルート) |
同度 | H足部管を使用すると、最低音がC4からB3へと拡張される。 |
フルート・ダモーレ | 長2度・短3度下 | ごく稀に長3度下のAs管もある。 |
アルトフルート | 完全4度下 | 頭部管がU字型になった曲管もある。近代以降の管弦楽曲や、ジャズで使われる機会が比較的多い。フルートオーケストラでは、しばしば対旋律を受け持ち、管弦楽のヴィオラのような役目を果たす。 |
バスフルート | 1オクターヴ下 | 頭部管がU字状に曲げられている。戦後の現代音楽では比較的よく使われた。独奏曲や室内楽曲に多い。 |
コントラアルトフルート[30][31] | 1オクターヴ +完全4度下 |
|
F管 バスフルート[32] | 1オクターヴ +完全5度下 |
|
コントラバスフルート[32] | 2オクターヴ下 | 数字の「4」のような形をしており、キーは縦の部分に、リッププレートは横の部分に付いており、大きさは人の身長ほどもある。別名オクトバスフルート。 |
G管 サブコントラバスフルート[33] | 2オクターヴ +完全4度下 |
|
F管 サブコントラバスフルート[34] | 2オクターヴ +完全5度下 |
|
C管 サブコントラバスフルート (ダブルコントラバスフルート) |
3オクターヴ下 | 古田土フルート工房により1993年に作成された[35]。ほかにホーヘンホイス社の製品(PVC使用)がある[36]。 |
ハイパーバスフルート | 4オクターヴ下 | フランチェスコ・ロメイによって2001年に作成された。管長12.3m、最低音16.35 Hzである。6つの音とその倍音のみが出せる[37]。その後ホーヘンホイスも作成している[38]。 |
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