ブラック・ダリア事件
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この項目では、1947年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件について説明しています。この事件を元にした2006年の映画については「ブラック・ダリア (映画)」を、この事件がバンド名の由来となっているアメリカのデスメタルバンドについては「ザ・ブラック・ダリア・マーダー」をご覧ください。 |
ブラック・ダリア事件(ブラック・ダリアじけん、英語: Black Dahlia Murder)とは、1947年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件である。
この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
ブラック・ダリア | |
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エリザベス・ショート (ブラック・ダリア) (1946年頃) | |
生誕 |
エリザベス・ショート (1924-07-29) 1924年7月29日 アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストン |
死没 |
1947年1月14日または15日 (22歳) アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス |
死因 | 暴行による脳内出血[1] |
墓地 |
アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランドのマウンテン・ビュー共同墓地(英語版) 北緯37度50分07秒 西経122度14分13秒 |
別名 | ブラック・ダリア |
職業 | ウェイトレス |
著名な実績 | 殺人被害者 |
身長 | 165 cm (5 ft 5 in) |
体重 | 52 kg (115 lb) |
親 |
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エリザベス・ショート(英: Elizabeth Short、1924年7月29日 - 1947年1月14日または15日)という女性がカリフォルニア州ロサンゼルス近辺のレイマート・パーク(英語版)で遺体となって発見された。ショートの遺体は腰の部分で両断されるという痛ましい状態だった。この惨状から事件は非常に話題となり、ショートは死後に「ブラック・ダリア」という呼び名で知られるようになった。
ショートはボストン出身で、幼少の頃はマサチューセッツ州メドフォードやフロリダに住んでいた。後に父の住むカリフォルニアへ転居した。一般にショートは女優志望だったことが知られているが、ロサンゼルスで過ごしていた間に何らかの女優の仕事をしていたかは不明である。ショートは死後、「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ばれるようになるが、これは当時の新聞は特に陰惨な犯罪にしばしばニックネームを付けていたためである。ニックネームは記者がカリフォルニア州ロングビーチの薬局の店主から聞いた話に由来するらしく、薬局の男性客がショートのことをそのようなニックネームで呼んでいたという。1946年4月に公開されたヴェロニカ・レイクとアラン・ラッドが主演のフィルム・ノワールThe Blue Dahlia(邦題:『青い戦慄』)のもじりであると考えられる。1947年1月15日にショートの遺体が発見されてから、ロサンゼルス市警察は大規模な捜査を開始した。被疑者は150人以上いたが、誰も逮捕することはなかった。
事件そのものや事件にまつわる様々なことが長く人々の注目を惹き付け、様々な説が生まれている。数多くの書籍や映画がショートの生涯と死を元としている。ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も有名な未解決殺人事件の一つであり、ロサンゼルス郡で最も昔に起こった未解決事件の一つでもあることから、頻繁に引き合いに出される[2]。歴史家からは、第二次世界大戦後のアメリカで国中の関心を集めた最初の主要な犯罪の一つとして評されている[注釈 1]。