ポーランド亡命政府
ポーランド第二共和国政府を継承して組織された亡命政府 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ポーランド亡命政府(ポーランドぼうめいせいふ、ポーランド語: Rząd Rzeczypospolitej Polskiej na uchodźstwie)は、1939年のポーランド侵攻後のドイツ国及びソビエト連邦による国土の分割占領により、ポーランド第二共和国政府を継承して組織された亡命政府である。
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公用語 | ポーランド語 | ||||||||||||
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首都 | ワルシャワ(法令上) パリ(1939年 - 1940年) アンジェ(1940年) ロンドン(1940年 - 1990年) | ||||||||||||
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- ポーランド亡命政府
- Rząd Rzeczypospolitej Polskiej na uchodźstwie (ポーランド語)
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← 1939年 - 1990年 → (国旗) (国章) - 国歌: Jeszcze Polska nie zginęła(ポーランド語)
ポーランドは未だ滅びず
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ポーランドの歴史 | ||
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ピャスト朝 10世紀 - 1370年 |
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プシェミスル朝 1300年 - 1306年 | ||
ポーランド・アンジュー朝 1370年 - 1399年 | ||
ヤギェウォ朝 1399年 - 1572年 | ||
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制) 1569年 - 1795年 | ||
ポーランド分割 1772年、1793年、1795年 | ||
ワルシャワ大公国 1807年 - 1813年 | ||
ポーランド立憲王国 1815年 - 1867年 |
クラクフ共和国 1815年 - 1846年 |
ポズナン大公国 1815年 - 1848年 |
第一次世界大戦 1914年 - 1918年 | ||
ポーランド摂政王国 1916年 - 1918年 | ||
ポーランド共和国(第2共和制) 1918年 - 1939年 | ||
第二次世界大戦 1939年 - 1945年 | ポーランド亡命政府 | |
ポーランド総督府 1939年 - 1945年 | ||
ポーランド人民共和国 1952年 - 1989年 | ||
ポーランド共和国(第3共和制) 1989年 - 現在 | ||
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ポーランド亡命政府は、ポーランド地下国家(英語版)と国内軍の組織構造を通し、第二次世界大戦期間に影響力があったとされる。終戦後、ポーランドはソ連の衛星国ポーランド人民共和国の管理下となり、亡命政府は存在したが影も薄く影響力も無かった。共産主義支配の終了後、亡命政府は正式に責務を新政府の第3共和制に移行した。
ポーランド亡命政府は1939年にパリで発足し、1940年にアンジェに移転。その後、1940年から1990年までの間はロンドンを拠点とした。