マルコマンニ戦争
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マルコマンニ戦争(マルコマンニせんそう、ラテン語: bellum Germanicum[1] ベッルウム・ゲルマニクム)は、162年から始まったローマ帝国の北方国境で発生した戦争の総称。主要な敵対勢力であったマルコマンニ人からこのように呼ばれるが、彼らはあくまで参加勢力の一派に過ぎない。戦いの最中でマルクス・アウレリウス帝は病没、180年に後を継いだコンモドゥス帝によってローマ側に有利な和睦が結ばれて戦争は終結した。
概要 マルコマンニ戦争, 交戦勢力 ...
マルコマンニ戦争 | |
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当時の帝国北方の国境地帯の勢力図 | |
戦争:マルコマンニ戦争 | |
年月日:162年 - 180年 | |
場所:ゲルマニア・ダキア・パンノニア・ドナウ川 | |
結果:ローマ帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
ローマ帝国 | 蛮族の諸勢力 マルコマンニ人 クァディ人 カッティ人 カウキー人 ウァリスキ人 コティニ人 ロンバルド人 ウビイ人 ラクリンギ人 ヴァンダル人 ハスディンギ人 ヘルムンドゥリ人 スエビ人 ブリ人 ヴィクトハリ人 ロラニ人 バスタルナエ人 アラン人 コストボキ人 ジャマタエ人 |
指導者・指揮官 | |
マルクス・アウレリウス帝 コンモドゥス帝 |
バルロマル(イタリア語版、英語版)(マルコマンニ王) アレオガエスス(クアディ王) ザンティクス(ジャマタエ王) ヴァラオ(ウァリスキ王) |
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