ユリウス・ネポス
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フラウィウス・ユリウス・ネポス(Julius Nepos[1]、Flavius Julius Nepos 430年 - 480年)は西暦5世紀のローマ皇帝、および帝位請求者。外戚関係にあるレオ朝出身の皇帝に加える場合もある。475年8月28日以降にダルマティアへ逃れてからは対立皇帝として西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスへの抵抗を続けた。ネポスはロムルス・アウグストゥルスの退位後も皇帝称号を使用しており、何人かの歴史家[誰?]は東ローマ皇帝ゼノンなどの承認を得ていた点から、彼の帝位請求が正当であったと考えている。
概要 ユリウス・ネポス Julius Nepos, 在位 ...
ユリウス・ネポス Julius Nepos | |
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西ローマ皇帝 | |
ユリウス・ネポスのトレミッシス貨 | |
在位 |
474年6月頃 - 475年8月28日 ダルマティア滞在期 475年 - 480年 |
全名 |
フラウィウス・ユリウス・ネポス Flavius Julius Nepos |
出生 |
430年頃 ナルニ(イタリア本土) |
死去 |
480年4月25日(5月9日説、6月22日説あり) スパラトゥム(ダルマティア) |
簒奪 | ロムルス・アウグストゥルス(475年以降) |
配偶者 | ウェリナ(英語版)の姪 |
王朝 | レオ朝(外戚) |
父親 | ネポティアヌス(英語版) |
母親 | マルケリヌス(英語版)の妹 |
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