世田谷区
東京都の特別区 ウィキペディアから
東京都の特別区 ウィキペディアから
世田谷区(せたがやく)は、東京都の区部南西部に位置する特別区。
せたがやく 世田谷区 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13112-1 | ||||
法人番号 | 1000020131121 | ||||
面積 |
58.05km2 | ||||
総人口 |
944,147人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 16,264人/km2 | ||||
隣接自治体 |
杉並区、渋谷区、目黒区、大田区、調布市、三鷹市、狛江市 神奈川県川崎市 | ||||
区の木 | ケヤキ | ||||
区の花 | サギソウ | ||||
区の鳥 | オナガ | ||||
世田谷区役所 | |||||
区長 | 保坂展人 | ||||
所在地 |
〒154-8504 東京都世田谷区世田谷四丁目21番27号 北緯35度38分48秒 東経139度39分12秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| |||||
特記事項 | 市外局番:3(日本国内から掛ける時は03) | ||||
ウィキプロジェクト |
区内には二子玉川・三軒茶屋・下北沢などの商業地があるが、区内の地目別土地面積の9割以上は閑静な住宅地区である[1]。特に成城は高級住宅街として知られている。
区は世田谷・北沢・玉川・
世田谷区の地形は、台地と低地から成っている。南部には多摩川に沿って北西から南東に連なる急斜面(国分寺崖線)がある。この斜面を境に北東側は台地(洪積層)、南西側は低地(沖積層)である[1]。
国分寺崖線には樹林や湧水などの豊かな自然環境が残る。その環境と景観を保全するために区は複数の条例を制定し、指定した地区での建築条件を制限している[2]。
区内に主な水源を持つ川を「*」で示す。これらの小河川は、かつては灌漑用水として利用されていたが、宅地化が進むにつれて農地が減少したため、大部分は下水道幹線として暗渠化され、地表は緑道となっている。
区内の多摩川沿いの町名である宇奈根・瀬田・野毛(上野毛)・等々力には、対岸の神奈川県川崎市内にも同じまたは類似の町名がある。これは、多摩川の流路が江戸時代の洪水や改修で大きく変わり、地域が分断された痕跡である[3]。
23区としては珍しく内陸性気候の特徴を持つ。気温は都心と同じかやや高いことが多い。特に区内陸部の北、西部(北沢、烏山地区など)は夏は暑さが厳しく、最寄りの練馬(アメダス)同様に38℃を超えることもある。また、冬は寒さが厳しくなり、冬日は珍しくない。世田谷アメダスでは降水量のみが観測されている。降水量は他の都内のアメダスと比べ多めである。
世田谷(1991 - 2020) の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 60.9 (2.398) |
60.4 (2.378) |
121.4 (4.78) |
134.0 (5.276) |
141.9 (5.587) |
170.5 (6.713) |
168.5 (6.634) |
169.6 (6.677) |
232.2 (9.142) |
236.2 (9.299) |
97.7 (3.846) |
60.9 (2.398) |
1,654.2 (65.126) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.0 | 5.7 | 9.8 | 10.1 | 10.6 | 11.8 | 11.4 | 9.2 | 12.1 | 11.0 | 7.7 | 5.5 | 110.0 |
出典:気象庁[4] |
世田谷区は1991年 に「地域行政制度」を発足させ、区内を下記の5地域に区分している。地域といっても世田谷地域や玉川地域などは、面積や人口で中野区、渋谷区レベルの大きさがある。各地域は独特の歴史と特性を有する。
区内の町丁数は277で、これは東京23区の中で最も多い。(典拠:東京都総務局統計部人口統計課 編集・発行「住民基本台帳による東京都の世帯と人口」平成22年1月分、平成22年3月発行、p. 22)
国道246号(通称玉川通り)・世田谷通り・茶沢通りが合流する三軒茶屋駅周辺、小田急線・井の頭線の乗換駅の下北沢駅周辺、京王線の千歳烏山駅周辺、大井町線と東横線の乗換駅の自由が丘駅南口側周辺、大井町線と田園都市線の乗換駅の二子玉川駅周辺がそれぞれ区内の商業地として求心力を持つ。
当区区域は武蔵国多磨郡、荏原郡に属し、農村地域であった。しかし農地や空き地が多かったこの地域に、上京者などがよく移り住み、現在では都内有数の住宅密集地域となっている。
江戸時代は御府内(江戸の市域・城下町)には含まれず、明治・大正時代の旧東京市15区にも含まれない地域であった。そのため、東京市街の中間富裕層や若者などにとって世田谷南部の玉川や等々力渓谷は景勝地、行楽地であった。松方別邸のように、別邸を設ける地域などとしても人気があった。
関東大震災による神社仏閣や被災者難民の疎開地として下町から多くの人が流入して住み着き、現在にあっても区画整理や再開発をより困難なものとしている。
東京郊外という立地から当時多くの私立学校・大学などが移設・開設され、現在においても絶え間なく上京する学生や若者たちを多く受け入れている。
区内には、カーナビゲーション開発の実験地に選ばれたほど、区画整理されずに細かく細い道が続く住宅街がある。一方、東急電鉄や東京信託会社などによる早期の沿線開発により一区画100m2内外を一軒とした大規模な住宅街区も点在する。
大規模な都市公園以外に、区域内を流れる主要河川を暗渠化した後に緑道や親水公園にした、一般にビオトープと呼ばれるものを合わせると、区内に455箇所の公園施設がある。
世田谷区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 池尻町、下馬町1の各一部 | ||
池尻二丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 池尻町の一部 | |
池尻三丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 池尻町の一部 | |
池尻四丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 池尻町、三宿町、下代田町の各全部 | 1〜32番街区に限る。 |
1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 三宿町、池尻町、太子堂町の各一部 | ||
三宿二丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 三宿町、池尻町、太子堂町、下代田町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 太子堂町、池尻町、三宿町、三軒茶屋町、下馬町1の各一部 | ||
太子堂二丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 太子堂町の一部 | |
太子堂三丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 太子堂町、三宿町の各一部 | |
太子堂四丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 太子堂町の一部 | |
太子堂五丁目 | 1965年9月15日 | 1965年9月15日 | 太子堂町の一部 | |
1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 太子堂町の全部と三軒茶屋町、下馬町1、上馬町1の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 三軒茶屋町の一部 | ||
1966年11月15日 | 1966年11月15日 | 若林町の一部 | ||
若林二丁目 | 1966年11月15日 | 1966年11月15日 | 若林町、太子堂町の各一部 | |
若林三丁目 | 1966年11月15日 | 1966年11月15日 | 若林町、世田谷1の各一部 | |
若林四丁目 | 1966年11月15日 | 1966年11月15日 | 若林町、世田谷1の各一部 | |
若林五丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 若林町の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷1、弦巻町1、弦巻町2の各一部 | ||
世田谷二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷1、世田谷4、弦巻町2の各一部 | |
世田谷三丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷1の一部 | |
世田谷四丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷1、若林町の各一部 | |
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷4、世田谷3の各一部 | ||
桜二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷4の一部 | |
桜三丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷4、世田谷1の各一部 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 弦巻町1、弦巻町2、上馬町2の各一部 | ||
弦巻二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 弦巻町1、弦巻町2、上馬町3の各一部 | |
弦巻三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 弦巻町2、弦巻町3の各一部 | |
弦巻四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 弦巻町2、弦巻町3の各一部 | |
弦巻五丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 世田谷4の全部と弦巻町2、弦巻町3、世田谷1、新町3の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷3の一部 | ||
宮坂二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷3の一部 | |
宮坂三丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷3、赤堤町1、上北沢町1の各一部 | |
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷5、世田谷4の各一部 | ||
桜丘二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷5、経堂町の各一部 | |
桜丘三丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷5の一部 | |
桜丘四丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷5、砧町の各一部 | |
1967年6月1日 | 世田谷5の一部 | |||
桜丘五丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 世田谷5、船橋町、砧町の各一部 | |
1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 経堂町、世田谷3の各一部 | ||
経堂二丁目 | 1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 経堂町、世田谷3の各一部 | |
経堂三丁目 | 1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 経堂町の一部 | |
経堂四丁目 | 1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 経堂町、世田谷5の各一部 | |
経堂五丁目 | 1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 経堂町、世田谷3の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町1の一部 | ||
下馬二丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町1、池尻町、三宿町、三軒茶屋町、上馬町1の各一部 | |
下馬三丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町3、上馬町1の各一部 | |
下馬四丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町3の一部 | |
下馬五丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町2、下馬町3の各一部 | |
下馬六丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 下馬町2、下馬町3の各一部 | |
1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 野沢町1、上馬町1の各一部 | ||
野沢二丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 野沢町1、野沢町2、下馬町3の各一部 | |
野沢三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 野沢町2の一部 | |
野沢四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 野沢町1の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 上馬町1の一部 | ||
上馬二丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 上馬町1の一部 | |
上馬三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 上馬町1の一部 | |
上馬四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 上馬町1、上馬町2の各一部 | |
上馬五丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 上馬町2、世田谷1の各一部 | |
1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 上馬町3、深沢町1、新町1の各一部 | ||
駒沢二丁目 | 1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 上馬町2の全部と上馬町1、上馬町3の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田1の一部 | ||
代田二丁目 | 1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田1、代田2の各一部 | |
代田三丁目 | 1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田1、代田2の各一部 | |
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷2の一部 | ||
梅丘二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷2、世田谷1、若林町の各一部 | |
梅丘三丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 世田谷2、若林町の各一部 | |
1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷2、世田谷3、赤堤町1の各一部 | ||
豪徳寺二丁目 | 1966年2月15日 | 1966年2月15日 | 世田谷2、世田谷1の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 下代田町、北沢2の各一部 | ||
代沢二丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢2の一部 | |
代沢三丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 下代田町、北沢1、北沢2の各一部 | |
代沢四丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 下代田町、北沢1の各一部 | |
代沢五丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢1、北沢2、北沢3、代田2の各一部 | |
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 池尻町、三宿町、下代田町の各全部 | 33〜39番街区に限る。 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年11月1日 | 1964年11月1日 | 羽根木町、大原町、代田2、松原町4の各一部 | ||
羽根木二丁目 | 1964年11月1日 | 1964年11月1日 | 羽根木町、松原町4の各一部 | |
1964年11月1日 | 1964年11月1日 | 大原町、羽根木町の各一部 | ||
大原二丁目 | 1964年11月1日 | 1964年11月1日 | 大原町、松原町1の各一部 | |
1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田1、代田2、松原町4の各一部 | ||
代田五丁目 | 1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田2の一部 | |
代田六丁目 | 1964年9月15日 | 1964年9月15日 | 代田2の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢2、北沢4、下代田町の各一部 | ||
北沢二丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢2、北沢3、北沢4の各一部 | |
北沢三丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢3、北沢4の各一部 | |
北沢四丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢3、北沢5の各一部 | |
北沢五丁目 | 1964年2月1日 | 1964年2月1日 | 北沢5の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年11月1日 | 1964年11月1日 | 羽根木町、松原町1、松原町2、松原町4の各一部 | ||
松原二丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 松原町2の一部 | |
松原三丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 松原町3、赤堤町2の各一部 | |
松原四丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 松原町3の一部 | |
松原五丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 羽根木町の全部と松原町2、松原町4、代田2の各一部 | |
松原六丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 松原町4、代田2の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 赤堤町1、世田谷2、世田谷3の各一部 | ||
赤堤二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 松原町4の全部と赤堤町1、松原町3の各一部 | |
赤堤三丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 赤堤町1、赤堤町2、上北沢町1の各一部 | |
赤堤四丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 赤堤町2、松原町3の各一部 | |
赤堤五丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 赤堤町2、上北沢町1の各一部 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 世田谷3の全部及び上北沢町1の一部 | ||
桜上水二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町1、上北沢町2の各一部 | |
桜上水三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町1の一部 | |
桜上水四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 赤堤町2の全部と上北沢町1、上北沢町2の各一部 | |
桜上水五丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町2の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 東玉川町の一部 | ||
東玉川二丁目 | 1967年6月1日 | 1967年6月1日 | 東玉川町の一部 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町1の一部 | ||
奥沢二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町1の一部 | |
奥沢三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町1の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町2、玉川田園調布2の各一部 | ||
奥沢五丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町2、玉川田園調布2の各一部 | |
奥沢六丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町3の一部 | |
奥沢七丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町3、玉川等々力町3の各一部 | |
奥沢八丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町3の一部 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川田園調布1、玉川田園調布2、玉川尾山町の各一部 | ||
玉川田園調布二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川田園調布2、玉川奥沢町2、玉川奥沢町3の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川等々力町1、玉川尾山町の各一部 | ||
玉堤二丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川等々力町1の一部 | |
1970年3月1日 | 玉川等々力町1の一部 | |||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町1、玉川尾山町の各一部 | ||
等々力二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町1、玉川等々力町2、玉川中町1の各一部 | |
等々力三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町2、玉川中町1の各一部 | |
等々力四丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町2の一部 | |
等々力五丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町2の一部 | |
等々力六丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町3の一部 | |
等々力七丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 深沢町2の全部と玉川等々力町2、玉川等々力町3の各一部 | |
等々力八丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川等々力町3、玉川中町1、玉川中町2の各一部 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川田園調布1、玉川奥沢町3、玉川尾山町の各一部 | ||
尾山台二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川尾山町の一部 | |
尾山台三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 玉川奥沢町3、玉川等々力町1の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川上野毛町、玉川野毛町、玉川中町1、玉川中町2の各一部 | ||
上野毛二丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川上野毛町、玉川野毛町、玉川町の各一部 | |
上野毛三丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川上野毛町、玉川町、玉川瀬田町の各一部 | |
上野毛四丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川上野毛町、玉川中町2、玉川瀬田町の各一部 | |
1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川野毛町、玉川等々力町1の各一部 | ||
野毛二丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川野毛町の一部 | |
野毛三丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川野毛町、玉川上野毛町の各一部 | |
1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川中町1、玉川野毛町の各一部 | ||
中町二丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川中町1、玉川等々力町2の各一部 | |
中町三丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川中町2の一部 | |
中町四丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川中町2、玉川上野毛町の各一部 | |
中町五丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 玉川中町2の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川用賀町2の一部 | ||
上用賀二丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川用賀町2、玉川用賀町3の各一部 | |
上用賀三丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川用賀町2、玉川用賀町3の各一部 | |
上用賀四丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川用賀町3の一部 | |
上用賀五丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 玉川用賀町2、玉川用賀町3の各一部 | |
上用賀六丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 世田谷5、玉川瀬田町、玉川用賀町3の各一部 | |
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川中町2の全部と玉川用賀町1、玉川上野毛町の各一部 | ||
用賀二丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川用賀町1の一部 | |
用賀三丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川用賀町1、玉川用賀町2の各一部 | |
用賀四丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川用賀町1、玉川用賀町2の各一部 | |
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町、玉川用賀町1の各一部 | ||
玉川台二丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町、玉川用賀町1、玉川用賀町2の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 玉川町の一部 | ||
玉川二丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 玉川町の一部 | |
玉川三丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 玉川町、鎌田町の各一部 | |
玉川四丁目 | 1968年7月15日 | 1968年7月15日 | 玉川町、玉川瀬田町、大蔵町、鎌田町、岡本町の各一部 | |
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町の一部 | ||
瀬田二丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町の一部 | |
瀬田三丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町、玉川上野毛町、玉川用賀町1の各一部 | |
瀬田四丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町、岡本町の各一部 | |
瀬田五丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町、岡本町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 弦巻町1の全部と上馬町3、新町1の各一部 | ||
駒沢四丁目 | 1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 新町1の一部 | |
駒沢五丁目 | 1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 深沢町1、深沢町2の各一部 | |
1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 上馬町3、深沢町1、深沢町2、新町1の各一部 | ||
1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 深沢町3、深沢町4、新町2の各一部 | ||
新町二丁目 | 1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 深沢町4、新町1、新町2の各一部 | |
新町三丁目 | 1967年11月1日 | 1967年11月1日 | 新町2の一部 | |
1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町4、新町2、新町3の各一部 | ||
桜新町二丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 弦巻町3の全部と新町2、新町3の各一部 | |
1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町1、玉川等々力町3の各一部 | ||
深沢二丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町1の一部 | |
深沢三丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町2、玉川等々力町3の各一部 | |
深沢四丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町2の一部 | |
深沢五丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町3、玉川等々力町3、玉川中町2の各一部 | |
深沢六丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町3の一部 | |
深沢七丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町3、深沢町4、玉川中町2の各一部 | |
深沢八丁目 | 1968年3月15日 | 1968年3月15日 | 深沢町4の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、砧町、喜多見町、大蔵町の各一部 | ||
成城二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、砧町の各一部 | |
成城三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、喜多見町の各一部 | |
成城四丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、喜多見町の各一部 | |
成城五丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町の一部 | |
成城六丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、祖師谷2の各一部 | |
成城七丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、祖師谷2の各一部 | |
成城八丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、祖師谷2の各一部 | |
成城九丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 成城町、祖師谷1、祖師谷2の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 祖師谷2、砧町の各一部 | ||
祖師谷二丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 祖師谷2の一部 | |
祖師谷三丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 成城町の全部と祖師谷2、砧町の各一部 | |
祖師谷四丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 祖師谷2の一部 | |
祖師谷五丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 祖師谷2の一部 | |
祖師谷六丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 祖師谷1の全部と祖師谷2の一部 | |
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 世田谷5の全部と廻沢町、祖師谷2、船橋町、砧町の各一部 | ||
千歳台二丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 廻沢町、祖師谷2の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 廻沢町、船橋町の各一部 | ||
千歳台四丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 廻沢町、船橋町の各一部 | |
千歳台五丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 廻沢町の一部 | |
千歳台六丁目 | 1971年9月1日 | 1971年9月1日 | 粕谷町の全部と廻沢町の一部 | |
1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、経堂町、世田谷5の各一部 | ||
船橋二丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、廻沢町の各一部 | |
船橋三丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町の一部 | |
船橋四丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、廻沢町の各一部 | |
船橋五丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、八幡山町の各一部 | |
船橋六丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、八幡山町の各一部 | |
船橋七丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 船橋町、廻沢町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町、宇奈根町の各一部 | ||
喜多見二丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
喜多見三丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町、宇奈根町、鎌田町の各一部 | |
喜多見四丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
喜多見五丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
喜多見六丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町、大蔵町の各一部 | |
喜多見七丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
喜多見八丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
喜多見九丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 喜多見町の一部 | |
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 宇奈根町、鎌田町の各一部 | ||
宇奈根二丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 宇奈根町、喜多見町の各一部 | |
宇奈根三丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 宇奈根町、鎌田町の各一部 | |
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 鎌田町の一部 | ||
鎌田二丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 鎌田町の一部 | |
鎌田三丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 鎌田町、岡本町の各一部 | |
鎌田四丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 鎌田町、岡本町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年10月1日 | 1968年10月1日 | 岡本町、玉川瀬田町の各一部 | ||
岡本二丁目 | 1968年10月1日 | 1968年10月1日 | 岡本町、鎌田町の各一部 | |
岡本三丁目 | 1968年10月1日 | 1968年10月1日 | 岡本町、大蔵町の各一部 | |
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町、玉川瀬田町、玉川用賀町3の各一部 | ||
大蔵二丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町の一部 | |
大蔵三丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町の一部 | |
大蔵四丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町、岡本町の各一部 | |
大蔵五丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町、喜多見町、鎌田町の各一部 | |
大蔵六丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 大蔵町、鎌田町、岡本町の各一部 | |
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町、世田谷5の各一部 | ||
砧二丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町、世田谷5の各一部 | |
砧三丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町の一部 | |
砧四丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町の一部 | |
砧五丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町の一部 | |
砧六丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町の一部 | |
砧七丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町、大蔵町の各一部 | |
砧八丁目 | 1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 砧町の一部 | |
1971年5月1日 | 1971年5月1日 | 玉川瀬田町、玉川用賀町2、玉川用賀町3、大蔵町、岡本町の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町2の一部 | ||
上北沢二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町2、上北沢町3の各一部 | |
上北沢三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町3の一部 | |
上北沢四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町2、上北沢町3の各一部 | |
上北沢五丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 上北沢町3の一部 | |
1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 八幡山町、船橋町の各一部 | ||
八幡山二丁目 | 1969年2月1日 | 1969年2月1日 | 八幡山町、船橋町、粕谷町の各一部 | |
八幡山三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 八幡山町の全部と粕谷町、烏山町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1、給田町、烏山町の各一部 | ||
上祖師谷二丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1の一部 | |
上祖師谷三丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1、祖師谷2の各一部 | |
上祖師谷四丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1、祖師谷2の各一部 | |
上祖師谷五丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1の一部 | |
上祖師谷六丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1の一部 | |
上祖師谷七丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 祖師谷1、給田町の各一部 | |
1970年11月1日 | 1970年11月1日 | 粕谷町、船橋町、廻沢町の各一部 | ||
粕谷二丁目 | 1970年11月1日 | 1970年11月1日 | 粕谷町、烏山町の各一部 | |
粕谷三丁目 | 1970年11月1日 | 1970年11月1日 | 粕谷町、祖師谷1、廻沢町の各一部 | |
粕谷四丁目 | 1970年11月1日 | 1970年11月1日 | 粕谷町、烏山町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 給田町、祖師谷1の各一部 | ||
給田二丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 給田町、祖師谷1の各一部 | |
給田三丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 給田町の一部 | |
給田四丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 給田町、烏山町の各一部 | |
給田五丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 給田町の一部 | |
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | ||
南烏山二丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
南烏山三丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
南烏山四丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
南烏山五丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
南烏山六丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町、給田町の各一部 | |
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | ||
北烏山二丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山三丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山四丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山五丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山六丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山七丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山八丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
北烏山九丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 烏山町の一部 | |
世田谷区(に相当する地域)の国勢調査人口の変遷を以下に示す[5]。
現・世田谷区の範囲(旧・東京府荏原郡世田ヶ谷町・駒沢町・松沢村・玉川村、北多摩郡砧村・千歳村の範囲)における国調人口は、1920年(大正9年)には39,952人と、現・東京23区に当てはめると16位相当に過ぎなかったが人口増加とともに順位も上がり、戦後は1955年(昭和30年)から1965年(昭和40年)の期間(23区中2位)以外は23区中1位となり、特に高度経済成長期に人口が著増した[5]。しかし、高度経済成長末期になると人口増加が鈍化し始め、1970年(昭和45年)以降は80万人前後で横這いになった[5]。特に、地価が高騰したバブル景気期には人口減少に見舞われた[5]。1995年(平成7年)を底にして2000年代は再び増加傾向を見せており、2010年(平成22年)のそれは87万7138人、世帯数は44万8961世帯、人口密度は1万5102人/km2となった[5]。
世田谷区の推計人口は、1932年(昭和7年)5月7日の区制施行時にはわずか133,249人であり[注釈 1]、東京35区中で最少であったが83年後の2015年(平成27年)4月1日に初めて特別区として90万人を突破。この間での人口増加率は591.12%であり事実上の人口爆発とされている[注釈 2][6][7][8]。2024年8月1日現在、東京23区中で最多の944,147人である。なお、平成の大合併の際の市町村合併支援プランに基く期間限定の人口要件緩和措置により政令指定都市に移行した7市および北九州市を含む8政令指定都市は、当区より人口が少ない(日本の市の人口順位参照)。
2005年(平成17年)の夜間人口は820,320人、昼間人口は736,040人であり、昼夜比は0.897倍と昼間に約1割減少するベッドタウン型の日内変動がある[注釈 3][9]。全国と比べた年齢別の人口比率では、大学生辺りの年齢から40歳代半ばまでの比率が大きいが、未成年、および、40歳代半ばから80歳くらいまでの比率が小さい。
世田谷区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 世田谷区の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 世田谷区
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
世田谷区(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
世田谷区が行った将来人口推計(2021年)によると、今後も年0.4%程度での増加傾向が継続すると推計された。区の人口は、10年後の2031年には948,302人となる予測とされている[10]。
結果 | 2031年 | 2036年 | 2042年 |
---|---|---|---|
基本推計 | 948,302人 | 966,579人 | 984,550人 |
高位推計 | 953,776人 | 976,576人 | 1,000,503人 |
低位推計 | 937,529人 | 947,823人 | 955,823人 |
外国人を含む
江戸時代末期に両郡内に42の村々が存在し、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。
明治・大正時代も旧東京市15区に含まれない地域であった。昭和時代の世界恐慌後に荏原郡および北多摩郡から旧東京市に編入され、「東京市世田谷区」となった。
2023年4月23日 最終投票率:46.10%
候補者名 | 当 | 政党 | 推薦 | 得票 |
---|---|---|---|---|
保坂展人 | 当選 | 無所属 | 186,553 | |
内藤勇耶 | 無所属 | 自民、維新 | 147,361 |
2019年4月21日 最終投票率:43.02%
候補者名 | 当 | 政党 | 推薦 | 得票 |
---|---|---|---|---|
保坂展人 | 当選 | 無所属 | 189,640 | |
三井美穂子 | 無所属 | 自民 | 120,898 |
2015年4月26日 最終投票率:42.83%
候補者名 | 当 | 政党 | 推薦 | 得票 |
---|---|---|---|---|
保坂展人 | 当選 | 無所属 | 196,068 | |
久保田英文 | 無所属 | 自民、公明 | 96,416 |
2011年4月24日 最終投票率:41.76%
候補者名 | 当 | 政党 | 推薦 | 得票 |
---|---|---|---|---|
保坂展人 | 当選 | 無所属 | 社民、国民新、新党日本 | 83,983 |
花輪智史 | 無所属 | 自民 | 78,444 | |
川上和彦 | 無所属 | 60,340 | ||
菅谷康子 | 無所属 | 民主、減税日本 | 40,831 | |
慶野靖幸 | 無所属 | 共産 | 9,963 |
外国人差別に特化した「苦情処理委員会」を設置。「苦情処理委員会」は、区長の諮問機関。外国人差別に特化した相談を区民から受け付ける。条例には「区長が必要に応じて適切な措置を講ずる」と定められた。苦情は、区の業務として処理される[16]。条例制定後、世田谷区区役所内で「外国人差別を禁止した世田谷区の条例」を学ぶ勉強会が、開かれた。世田谷区の区議が条例の趣旨や制定過程を解説。勉強会には、川崎市をはじめ他自治体の市民や議員らが参加した[17] 。
かつては教職員の異動区域は区内が2分割されていたが、現在は異動区域は統一されている。2007年度、従来の教科の一つである「国語」に加え「日本語」という新教科を区内小中学校に導入している。
23区の中で緑の多い区として知られるが、集合住宅の開発増加により、緑被率は1986年の59.1%に比べ、2021年度には22.56%に減少している[18]。2004年から資金調達の対策として地方債の「せたがや区民債」を発行している。
世田谷区は、平成26年に犯罪認知件数8508件を記録し、東京都内で最も犯罪認知件数が多い自治体となった[19]。区内で発生した大きな事件は#世田谷区内で発生した主な事件を参照。
区内の犯罪発生件数は概ね減少傾向にあるが、とくに車上荒らし、ひったくり、振り込め詐欺などの発生件数が多くなっている[20]。
区内は行政上5つの地域に分けられ、各地域には総合支所が設置されている。総合支所は、特別地方公共団体である「区」の行政機能の一部を分担し、「地域の区役所」的な機能を果たす。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
福島理恵子 | 当 | 50 | 都民ファーストの会 | 現 | 43,096票 |
里吉ゆみ | 当 | 54 | 日本共産党 | 現 | 34,225票 |
高久則男 | 当 | 58 | 公明党 | 新 | 32,200票 |
小松大祐 | 当 | 43 | 自由民主党 | 現 | 26,486票 |
三宅茂樹 | 当 | 71 | 自由民主党 | 現 | 25,819票 |
山口拓 | 当 | 48 | 立憲民主党 | 現 | 25,644票 |
風間穣 | 当 | 48 | 立憲民主党 | 新 | 23,849票 |
土屋美和 | 当 | 43 | 自由民主党 | 新 | 22,040票 |
岡林裕佳 | 落 | 51 | 日本維新の会 | 新 | 19,954票 |
関口江利子 | 落 | 47 | 東京・生活者ネットワーク | 新 | 19,075票 |
木村基成 | 落 | 51 | 都民ファーストの会 | 現 | 17,207票 |
風澤純子 | 落 | 51 | れいわ新選組 | 新 | 16,344票 |
大場康宣 | 落 | 73 | 無所属 | 現 | 7,925票 |
関口太一 | 落 | 45 | 国民民主党 | 元 | 7,859票 |
岸泰正 | 落 | 56 | 無所属 | 新 | 2,896票 |
サルサ岩渕 | 落 | 43 | 諸派 | 新 | 1,962票 |
森里香 | 落 | 47 | 日本公益党 | 新 | 1,531票 |
油井史正 | 落 | 77 | 無所属 | 新 | 585票 |
世田谷区には四つの警察署が存在する。いずれも警視庁第三方面本部管内に属する。
区内の郵便物の集配は区内にある四つの郵便局で行っている。郵便番号(上3桁)は154・155・156・157・158。
(廃止された郵便局)
「*」は世田谷美術館の分館。区内の画家のアトリエを改装、またはその跡地に建てられて開設された。
生涯教育の一環として1970年代から徒歩圏内に図書館を設置する方針を立てた。その後の時代変化と行政コスト改革の一環で計画の統廃合が行われた。世田谷区立図書館は、中央図書館と地域図書館を合わせて16館、他に補完施設として「地域図書室」が5室、「図書館カウンター」が2か所ある。2006年7月26日、小田急線経堂駅前の高架下に経堂図書館が開館し、世田谷区立図書館では初の長時間開館(平日9:00-21:30・東日本大震災による節電配慮により平日21:00まで短縮)。また、これにより至近にあった「経堂まちかど図書室」は閉鎖された。 中央図書館の地下には保存庫があり、蔵書検索では中央図書館蔵書と保存庫蔵書は区別して表示される。
2011年1月より経堂・烏山図書館の通年開館がスタート、翌2012年6月より砧・尾山台図書館の通年開館がスタートした。月曜日も開いている図書館を区内各地域ごとに1館設ける、という施策の下で中央図書館(昭和62年の開館当初より月曜開館)のほか、世田谷図書館・代田図書館・尾山台図書館・砧図書館・烏山図書館の計6館が開いている。
2012年12月3日、喜多見まちかど図書室が開館。「世田谷区立図書館ビジョン第2期行動計画」に基づき、まちかど図書室初のコンピュータネットワークを導入。そのため他のまちかど図書室と開館時間や利用点数が異なっている。 2015年4月22日、二子玉川ライズ・ショッピングセンターテラスマーケット2階に、窓口機能に特化した「図書館カウンター二子玉川」を開設。区立図書館ホームページなどから予約した資料の貸出・返却、利用登録、簡易なレファレンスサービスを行っている。また、区内障害者施設で作った「はっぴいハンドメイド」製品の販売や、デシタルサイネージを使って世田谷区の様々な情報を発信している。同年10月16日には、キャロットタワー隣にも「図書館カウンター三軒茶屋」を開設している。
2016年4月1日、「まちかど図書室」(池尻、松沢、希望丘、喜多見)が「図書室」と名称変更された。
2016年9月1日、世田谷図書館が世田谷合同庁舎1階に移転開館した。
これらの他に、世田谷文学館と世田谷美術館には所蔵図書の閲覧室がある[22][23]。
フィットネスクラブなど民間の運動施設は区内の各地で営業している。
世田谷区の平均世帯所得は2014年時点で649万円となっている。埼玉県さいたま市浦和区(693万円)や文京区(673万円)に次ぐ水準となっている。
しかし、世田谷区は、2022年には、生産緑地法による指定が解除されるため、不動産価格の下落が避けられない。固定資産税の問題が絡み高級住宅地も例外とはならない。特に、過去に大手デベロッパーの主導で販売された物件は、本来の価値以上の値段で売り出されていた為、下落がはじまればハイスピードで価値が落ちていき、「今の半分まで不動産価格が下がる」という分析結果が出ている[24][25]。
西部の砧地域・烏山地域を中心に区内には2017年現在89ヘクタール(区の面積の1.5%)の農地があり、野菜や果樹、花き類などが栽培されている[26]。農業産出額は2013年現在、3億9千万円[27]。区内の農地面積は、2007年は126ヘクタール、2012年は107ヘクタールと減少傾向にある[26]。区は「世田谷区農業振興計画」として農業従事者への支援などを行っている[26]。
区内には青果と花きを扱う東京都中央卸売市場世田谷市場と、JA世田谷目黒・JA東京中央の二つの農業協同組合の本店が存在する。また、野菜栽培やガーデニングなどを学ぶことができる都立園芸高等学校が区内にある。
内陸にあって港湾や空港からの交通の便が他区より悪く、住宅地として早くから開発されたため地価が高くて公害防止策の必要性も高い事から、区内における工業の重要性は他区と比較して相対的に低い。2019年工業統計調査による2018年実績では、従業員30人以上の工業事業所は区内に11カ所、敷地面積5233m2で、23特別区内では事業所数で19位、敷地面積で21位にとどまる[28]。公益財団法人として世田谷工業振興協会が設立され、準工業地域の保全や住宅地との共生事業が行われている。
渋谷区、目黒区に近い世田谷地域の東部や、川崎市に近い玉川地域の二子玉川駅周辺では、商業が盛んである。この他、区北西部にあたる烏山地域の千歳烏山駅周辺をはじめ、小田急線や京王線、東急田園都市線の各駅前では駅前商店街の発展が多く見られ、それ以外でも住宅地の中に比較的小規模な商業店舗が散在している。
区内全域が「03」であり、これは東京23区の他の全区や、狛江市の大部分、調布市と三鷹市の各一部とも共通である。
世田谷区内には世田谷局、弦巻局、松沢ビル2局、上北沢局、東京烏山局、成城局、砧局、東京瀬田局、東京玉川局のNTT交換局があり、区内をカバーするほか、世田谷区内の一部では区外(隣接地域)にある交換局となっている代々木局、目黒本館局、自由ケ丘局、田園調布局、狛江局、雪ケ谷局がカバーする。
世田谷区内の多くの交換局に窓口が設けられていたが、窓口が三軒茶屋に集約されてから廃止された。
都内の各町丁に対して地震に対する総合危険度を東京都都市整備局が2022年に公表した「地震に関する地域危険度測定調査(第9回)[29]」では、世田谷区内の277の町丁のうち125町丁が、相対的に都内で最も安全とされる「レベル1」になった。最も危険とされる「レベル5」の町丁は区内にはなかった。
2019年10月の台風19号では、区内南部の多摩川沿岸の広い範囲で浸水の被害が生じ、孤立した一部の住民が自衛隊などに救助された[31][32][33]。
鉄道はほぼ東西方向にしか走っておらず、南北方向の鉄道は東急世田谷線しか存在しない。放射状に広がる各線を環状方向に結ぶ路線は地理的に偏っており、場所によっては区内であっても一旦区外に出ての移動を強いられるなど、鉄道のみの利用では移動に1時間以上を要する場所が多い。そのため、区では東京都道311号環状八号線(環八通り)に沿う鉄道「エイトライナー」の構想を推進しているが、着工の目処は立っていない。
区内を走行している鉄道路線は全て私鉄であり、東京23区で唯一地下鉄もJRも通っていない区であるが、地下を走行する鉄道路線は存在する[注釈 6]ほか、小田急小田原線にはJRの車両が[注釈 7]、また全ての会社線で1路線は地下鉄の車両が乗り入れている。
区内を走る幹線道路の内側を網の目のようにバス路線が設定されており、前述の通り南北方向の鉄道がほぼ存在しない世田谷区において、南北方向の重要な交通網を担っている。段差の少ないノンステップバスを多く導入するなど、公共交通の確保と高齢化対策を図っている。
区内では東急バス、京王バス、小田急バス、関東バス、東京都交通局の各事業者により運行されている。通勤時間帯には2 - 5分間隔でバスが運行される地区もあるが、世田谷区内の各地域は都市計画道路の多くが未整備であり、現況道路が非常に狭いために、バスの通行が困難、あるいは路線バスの通行によりかえって渋滞を招くケースが少なくない。そこで、玉堤、宇奈根、喜多見、岡本、鎌田、大蔵、祖師谷、成城、八幡山地区では、小型車両によるコミュニティバス路線やデマンドバス路線を運行して改善が模索されている。
二子玉川駅(二子玉川ライズ)を拠点として、羽田空港・成田空港への空港リムジンバスがあるほか、高速バスが発着している。
池尻大橋駅からは、小田急ハイウェイバスの御殿場駅・箱根方面行がある。ただし、乗車停留所は目黒区大橋に所在する。到着停留所は池尻にあり、こちらにはジェイアールバス関東、東海バスなどの高速路線も一部停車する(乗車は不可)。
自由が丘周辺を無料巡回する「サンクスネイチャーバス」が一部世田谷区にもまたがり、深沢地区からも利用可能。
区内には幹線道路として、東西に国道246号(玉川通り)および国道20号(甲州街道)が、南北に東京都道318号環状七号線(環七通り)および東京都道311号環状八号線(環八通り)が走っている。
区の南部は昭和時代の初期から区画整理(玉川全円耕地整理事業)が進められた一方で、杉並区などと接する区北部は幹線道路を補完する幅員15mクラスの都市計画道路や各種生活道路の整備が近隣の他区に比べて遅れており、細く入り組んだ狭隘な区道が多い。それゆえ、道路整備が区政の重要な課題のひとつとなっている。東京都心部と都内の多摩地域や神奈川県とを結ぶ通過交通と、区内完結型の生活需要交通が道路を共有する事情もあり、交通事故発生件数は都内でも突出してワースト1となっている。貧弱な道路網の一因には、農地から宅地を造る際に農道を基礎としたことも理由に挙げられる。
高速道路は、首都高速3号渋谷線および4号新宿線のほか、東名高速道路、中央自動車道、第三京浜道路が通る。また、東京外環自動車道も都市計画決定後の長年の凍結が解除されて区内でも着工されているが、工事に伴う環境問題などに起因する反対運動が続いており、完成の目処は立っていない。
世田谷区は東京運輸支局本庁舎の管轄エリアで、かつては「品川」ナンバーが交付されていたが、2014年11月17日以降はご当地ナンバーである「世田谷」ナンバーが交付される。
区民の生活・文化に貢献し、また、区民から敬愛される人物を世田谷区名誉区民条例に基づき、世田谷区名誉区民として顕彰している。 世田谷区民会館ロビーの壁に肖像画と功績を記したパネルが展示されている。
[]内は出身地(出生地または生育地)。
[]内は居住地(元居住地を含む)。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.