倭玉篇
室町時代に成立した漢和辞典 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか 倭玉篇?
この記事を 10 歳向けに要約してください
すべての質問を表示
『倭玉篇』(わごくへん)は、『和玉篇』とも書き、室町時代に成立した一群の部首引きの漢和辞典の総称である。50数種の写刊本が現存し、そのほとんどは上中下三巻で構成されている。慶長 10 年(1605)に刊行された夢梅本以外の伝本は著者編者について特定できない。
掲出字・部首とも漢語辞書の『大広益会玉篇』に依拠するところが多いが、『新撰字鏡』『類聚名義抄』『字鏡』『龍龕手鑑(りゅうがんしゅかん)』『字鏡集』からも影響を受けている。
「わごくへん」という読み方が一般的であるが、「わぎょくへん」と読まれることもある。[1]
室町時代から江戸時代にかけてもっとも普通の部首引き漢和辞典として流行し、寛文4-5年ごろには部首画数引きのものも出現した。ほかに『真草倭玉篇』『袖珍倭玉篇』『小篆増字和玉篇』など、さまざまな工夫を施した本が作られた。明治時代に至るまで『倭玉篇』の名前は漢和辞典の別称として用いられた。[2]