大原御幸
平氏滅亡後に建礼門院を後白河法皇が訪問したとされる故事 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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大原御幸(おおはらごこう、おはらごこう)とは、平氏滅亡後に大原に出家・隠棲した建礼門院(平徳子)を後白河法皇が秘かに訪問したとされる故事。御幸の真偽については不明だが、『平家物語』諸本、説話集『閑居友』に記述がある。『閑居友』は「かの院の御あたりの事を記せる文(後白河院の周辺の事について記した文)」から書き写したとしている。『平家物語』延慶本では巻六末廿五「法皇小原ヘ御幸成ル事」に記載されており、小原と表記されている[1]。『閑居友』と『平家物語』の関連性については議論があり、どちらが先行したものであるかについては定まった見解はない[2]。