宝幢若公ウィキペディア フリーな encyclopedia 宝幢若公(ほうどうじゃくこう)は、室町時代の足利将軍家の一族。室町幕府の第3代将軍・足利義満の次男。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教の異母兄に当たる。庶長子の尊満とは同母兄弟である。宝幢寺の造営中に義満側室の加賀局(柳原殿)が産んだ男子のために宝幢若公と称したが、わずか3歳で夭折した[1]。 概要 凡例宝幢若公, 時代 ... 凡例宝幢若公時代 室町時代前期生誕 至徳2年/元中2年(1385年)3月死没 至徳4年/元中4年1月14日(1387年2月3日)氏族 足利氏(足利将軍家)父母 父:足利義満、母:加賀局(柳原殿)兄弟 尊満、宝幢若公、義持、義嗣、義教、大覚寺義昭ほかテンプレートを表示閉じる
宝幢若公(ほうどうじゃくこう)は、室町時代の足利将軍家の一族。室町幕府の第3代将軍・足利義満の次男。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教の異母兄に当たる。庶長子の尊満とは同母兄弟である。宝幢寺の造営中に義満側室の加賀局(柳原殿)が産んだ男子のために宝幢若公と称したが、わずか3歳で夭折した[1]。 概要 凡例宝幢若公, 時代 ... 凡例宝幢若公時代 室町時代前期生誕 至徳2年/元中2年(1385年)3月死没 至徳4年/元中4年1月14日(1387年2月3日)氏族 足利氏(足利将軍家)父母 父:足利義満、母:加賀局(柳原殿)兄弟 尊満、宝幢若公、義持、義嗣、義教、大覚寺義昭ほかテンプレートを表示閉じる