日朝修好条規
二国間条約 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年)2月26日(時憲暦光緒2年=高宗13年2月2日)に日本と李氏朝鮮との間で締結された条約とそれに付随した諸協定を含めて指す。条約正文では「修好条規」とのみ記されているが[1]、通例として朝鮮国との修好条規(ちょうせんこくとの-)、日朝修好条規、日鮮修好条規(にっせん-)などと呼称する。当時東アジアで結ばれた多くの条約と同様、不平等条約であった。江華島で調印されたため江華島条約(カンファド/こうかとう じょうやく、朝: 강화도조약)とも、丙子の年に結ばれたために丙子修交条約(へいししゅうこうじょうやく、朝: 병자수교조약)ともいう。