日産生命保険
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日産生命保険相互会社(にっさんせいめいほけん)は、かつて存在した日本の生命保険会社。本社を東京都渋谷区の渋谷駅近くに置いていた[1]。バブル経済の崩壊の影響などにより、1997年(平成9年)4月25日に倒産[1]。戦後初の生命保険会社の経営破綻となった[1]。
渋谷駅周辺には中堅生命保険会社の本社が集まり、業界内で「渋谷系」「246号族」などと呼ばれた[1]。バブル時代に大手が二の足を踏むハイリスクな財テク商品を売る積極攻勢で業績拡大を狙ったことが仇となり、バブル崩壊後の低金利時代に経営破綻が相次いだ[1][2]。
その結果、1990年代末から2000年代初頭にかけて当社の破綻を皮切りに、東邦生命保険(1999年6月破綻)、第百生命保険(2000年5月破綻)、大正生命保険 (同年8月破綻)、千代田生命保険(同年10月破綻)、協栄生命保険(同年10月破綻)、東京生命保険(2001年3月破綻)と、当社を含めて中堅生命保険会社7社の経営破綻が続き[1][2]「生保破綻ドミノ」と呼ばれた[1]。いわゆる「護送船団方式」と呼ばれる金融保護政策が、バブル崩壊後は銀行に続き保険業界でも崩れ去ることとなった[1]。