李陵 (小説)
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『李陵』(りりょう)は、『漢書』(「李広蘇建伝」「匈奴伝」「司馬遷伝」)、『史記』(「李将軍列傳」「太史公自序」)、『文選』(「答蘇武書」「任少卿報書」)等を典拠とした、中島敦の短編小説である[1]。中島没後の昭和18年(1943年)7月、『文學界』に発表された(脱稿は前年10月)[2]。『李陵』という題名は、深い交友のあった深田久弥が、遺稿に最も無難な題名を選び命名したもので、中島自身は「漠北悲歌」などいくつかの題を記したメモを遺していた[1]。
概要 李陵, 作者 ...
李陵 | |
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作者 | 中島敦 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 短編小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『文學界』1943年7月号 |
出版元 | 文藝春秋社 |
刊本情報 | |
刊行 | 小山書店 1946年2月10日 |
収録 | 『中島敦全集 第1巻』 筑摩書房 1948年10月 |
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漢の武帝のとき、匈奴征伐の際に、善戦およばず捕虜となった李陵は、匈奴単于に厚遇される。李陵は自己弁護をせず、胡の地に残る。一方、匈奴に順うのを潔しとしない蘇武は、苦節19年の末祖国に帰る。宮刑に処せられるも『史記』を執筆する司馬遷。三者三様の生き様を描いた。