正親町三条公氏
鎌倉時代前期の公卿。三条実房の三男。正二位・権大納言。正親町三条家(嵯峨家)の祖。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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正親町三条 公氏(おおぎまちさんじょう きんうじ)は、鎌倉時代前期の公卿。左大臣・三条実房の三男。官位は正二位・権大納言。三条大納言と号す。三条の他、嵯峨および西郊とも称す。正親町三条家の祖。
概要 凡例正親町三条公氏, 時代 ...
時代 | 鎌倉時代前期 |
---|---|
生誕 | 寿永元年(1182年) |
死没 | 嘉禎3年9月15日(1237年10月5日) |
別名 | 三条大納言、嵯峨 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後鳥羽上皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇 |
氏族 | 正親町三条家 |
父母 | 父:三条実房、母:藤原経宗の娘 |
兄弟 | 三条公房、姉小路公宣、公氏、三条公俊、公兼、覚実、公円、覚教、公恵、公深、公豪、公誉、徳大寺公継室、女御代 |
妻 | 藤原泰通の娘[1] |
子 | 実蔭、実連、教誉、実位、叡澄 |
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なお、明治維新後に正親町三条家は本家の三条家と区別するために家名を「嵯峨」と改称したが、これは公氏の別号に由来している(公氏のもうひとつの別号である西郊を称する公氏の子孫の公家もかつてあった)。