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日本の歌手、女優、政治家 ウィキペディアから
沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子[1](やまもと まさこ)、1937年〈昭和12年〉1月2日 ‐ 2003年〈平成15年〉8月9日)は、日本の歌手、女優、政治家。歌手や女優などの芸能活動の後、政界に転身し参議院議員を務めた。
神奈川県川崎市出身。ラジオ番組「大学勝ち抜き歌合戦」での優勝を機に、山脇学園短期大学在学中の1956年にテイチクより歌手デビュー。このジャズ・シンガー時代に、TBSのプロデューサーと熱い討論をしたというエピソードがある[2]。
1966年にビクターへ移籍。移籍第一弾『ベッドで煙草を吸わないで』が大ヒットする。
1969年から1974年まで東京12チャンネルで放映された「プレイガール」への出演(沢村たまき=オネエ役)など、女優としても活躍。異色なところでは、「独占!おとなの時間」(テレビ東京系)など主に深夜番組の司会で活躍。また、「クイズダービー」では、五月みどりの後を受けて2代目2枠レギュラー解答者を担当した。正答率は3割5分7厘(平均3勝6敗~4勝5敗ペース)と決して悪くはなかったものの、歴代ワースト6位の17連敗を記録した。
1995年5月、『リングの魂』(テレビ朝日系)の企画で、「憧れの人に会いたい」という企画で元プロレスラーでトレーニングジムを経営するアニマル浜口の憧れの女優として沢との一日デートが実現した。この時の浜口は、いつもの気合は何処へやら、終始デレデレしており、意外な一面を見せたという。
晩年には、新宿のホストを買春したという記事が「週刊宝石」に掲載されたが、後に週刊宝石側はこの記事の虚偽を認めた。過去に、メルシャンのCMに出演していたが、実際には下戸だった。
小沢一郎の要請もあり1995年頃より政治活動に転向、翌1996年第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で東京12区から立候補するもするも約1200票差の次点で落選(当選者は同じく元タレント・参議院議員で自由民主党公認の八代英太)。1998年第18回参議院議員選挙(比例区・公明)で初当選。同年11月の公明党再結成に参加し、厚生労働委員会委員などを務める。
しかし在任中の2003年8月9日、居住先の清水谷議員宿舎で入浴中、虚血性心不全のため死去した[3]。66歳没[4]。同年8月20日、新宿区・落合斎場で「沢たまきを偲ぶ会」が催された。哀悼演説は同年9月26日の参議院本会議で、金田勝年により行われた。
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