益田太郎冠者
日本の実業家・劇作家・音楽家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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益田 太郎冠者(ますだ たろうかじゃ、1875年(明治8年)9月25日 - 1953年(昭和28年)5月18日[1])は、日本の実業家、貴族院議員。男爵。東京府出身。本名は太郎。劇作家・音楽家でもあり、太郎冠者の筆名で多くの喜劇や流行歌を作っている。
三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男であり、自らも台湾製糖、千代田火災、森永製菓など[2]、有名企業の重役を歴任した実業家であった。一方、青年時代のヨーロッパ留学中に本場のオペレッタ、コントに親しみ、その経験から帰国後、自らの文芸趣味を生かしてユーモアに富んだ喜劇脚本を多く執筆した。帝国劇場の役員となり、森律子をはじめとする帝劇女優を起用した軽喜劇を明治末から大正時代にかけて上演した。コロッケ責めの新婚生活を嘆いたコミックソング「コロッケー」(通称「コロッケの唄」)、落語「宗論」「かんしゃく」は特に有名である。
板倉勝弘子爵の養女、貞との間に五男二女があり[2]、息子に洋画家の益田義信。葭町の芸者だった岩崎登里という妾のほか、森律子とも噂があり、晩年は律子が毎日通ったという[2]。