藤沢越堂
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師は松本楓湖・川合玉堂、日本美術協会出品。本名 藤沢清二郎。
故郷は新潟県三条市。
戦前から戦後まで渋谷区にある松濤に住んでいた。
越堂の妻がお金持ちの娘であった事から、妻の実家の援助があったそうだ。
越堂は川合玉堂の弟子であった為、出身地の越後の「越」と師匠である玉堂の「堂」を取り「越堂」とか名乗った。 越堂のほか、北湖・東堂とも号した。
はじめ三条町の帰山雲涯に学び、のちに上京して松本楓湖に、ついで川合玉堂に師事。
越堂はある事件に巻き込まれて、濡れ衣を着せられ破門になるが、その後も日本画を描き続けていた。