赤い鳥逃げた?
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『赤い鳥逃げた?』(あかいとりにげた)は、藤田敏八監督、原田芳雄主演の1973年公開の日本映画。日活出身の藤田敏八が日活以外ではじめて監督した作品。東宝の奥田喜久丸のプロデュースで製作されたものの、外部監督の起用に反発する東宝の撮影所組合が協力拒否を打ち出したため、東宝撮影所を使用することができず、スタッフも藤田敏八の人脈で集められた寄せ集め集団で、奥田によって「グループ法亡」と名付けられた(「法亡」は「渡り労働者」を意味する英語のHOBOに漢字を当てたもの)[1]。なお、日活の契約助監督だった長谷川和彦がチーフ助監督を務めており、脚本の改稿にも関っていたことが知られている(「製作背景」参照)。