防衛的悲観主義
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防衛的悲観主義は、過去どうであったかに関わらず、個人が自身のパフォーマンスに低い期待を向けるという認知的方略のことを指す。防衛的悲観主義は不安を引き起こすような出来事や仕事に備えるための方略として用いられ、防衛的悲観主義者は、彼らの目標追及に対して不利な影響を及ぼすかもしれない特定の好ましからぬ出来事や失敗について徹底的に思案する。あり得るネガティブな結果を予想しておくことによって、防衛的悲観主義者はそれらを回避するなり、備えるなりするための行動を取ることができる[1]。防衛的悲観主義者はこの方略を取ることで、ともすれば彼らのパフォーマンスを害してしまうかもしれない不安を、有利に利用することができる[2]。
防衛的悲観主義は様々な領域において活用されるが、スピーチはその過程を示す良い例である。スピーチの内容を忘れてしまうとか、喉が渇いてしまうとか、シャツに染みを作ってしまうとかの、起こる可能性がある障害を前もって想像することにより、防衛的悲観主義者はスピーチに関する不安を和らげることができる。彼らはこれらの問題を考慮しておいたために、あらかじめ困難に直面するための適切な準備ができる。例えば、スピーチの要点を記したメモ書きを作るやら、口渇を緩和するために水を一杯演壇に置くやら、染み抜きペンを持ってくるやらの対策を講じうる。これらの予防的な行動は、不安を払拭すると共に、より良いパフォーマンスを促す。
防衛的悲観主義はNancy Cantorと彼女の生徒たちによって、1980年代中盤に発見された[3]。