トップQs
タイムライン
チャット
視点
オスカル・ルジェリ
アルゼンチンのサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
オスカル・アルフレド・ルジェリ(Óscar Alfredo Ruggeri, 1962年1月26日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。ニックネームはエル・カベソン(El Cabezon=デカ頭)[2]。
Remove ads
クラブ経歴
1980年、当時ディエゴ・マラドーナが所属していたボカ・ジュニアーズでキャリアをスタートする。1985年にライバルのCAリーベル・プレートに移籍し、1986年のアルゼンチンリーグ、コパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタルカップの3冠獲得に貢献した。1989年からレアル・マドリードで1シーズンプレー、コパデルレイでは決勝でFCバルセロナに敗れ優勝を逃したが、リーグ戦では31試合に出場し[3]リーグ優勝に貢献した。その後ベレス、1992年にはイタリアセリエAのアンコーナ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロなどに在籍する。1997年にラヌースで現役引退した。
コパ・アメリカでは1991年、1993年大会で優勝している。また1991年は、キャプテンとしてコパ・アメリカの優勝にも貢献し、南米最優秀選手を受賞した。
引退後は監督として、古巣のサン・ロレンソなど複数のクラブを率いている。
代表経歴
アルゼンチン代表としては97キャップを記録し、3回のFIFAワールドカップに出場した。代表キャップ数はディエゴ・シメオネに抜かれるまで最多記録であった。1986年のメキシコW杯では、大会で出場した最も優れたストッパーと賞賛されるプレーで優勝に貢献[2]、1990年のイタリアW杯では5試合に出場したが、決勝の西ドイツ戦では負傷で途中交代を強いられ[4]、チームは敗れ、準優勝に終わった。1994年のアメリカW杯では、ディエゴ・マラドーナが大会から追放された後はキャプテンを務めた、決勝トーナメントのルーマニア戦で敗れ、その試合が最後の試合となった[5]。
所属クラブ
ボカ・ジュニアーズ 1980-1985
CAリーベル・プレート 1985-1988
CDログロニェス 1988-1989
レアル・マドリード 1989-1990
CAベレス・サルスフィエルド 1990-1992
アンコーナ・カルチョ 1992
クラブ・アメリカ 1992-1993
CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ 1994-1997
CAラヌース 1997
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 97試合 7得点(1983年-1994年)[6]
指導歴
CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ 1998-2001
CDグアダラハラ 2001-2002
UAGテコス 2003
CAインデペンディエンテ 2003
エルチェCF 2003-2004
クラブ・アメリカ 2004
CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ 2006
獲得タイトル
代表
クラブ
- ボカ・ジュニアーズ
- アルゼンチンリーグ:1981M
- リーベル・プレート
- アルゼンチンリーグ:1985-86
- コパ・リベルタドーレス:1986
- トヨタカップ:1986
- コパ・インテラメリカーナ : 1986
- サン・ロレンソ
- アルゼンチンリーグ:1994-95C
- レアル・マドリード
個人
- ドン・バロン・アワード : 1988-89
- アルゼンチン年間最優秀選手賞 : 1991
- 南米年間最優秀選手賞:1991
出典
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads