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CAベレス・サルスフィエルド
アルゼンチンのサッカークラブ ウィキペディアから
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クルブ・アトレティコ・ベレス・サルスフィエルド(スペイン語: Club Atlético Vélez Sarsfield[1])は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ブエノスアイレスを本拠地とするスポーツクラブである。リーガ・プロフェシオナルに所属するサッカー部門がよく知られている。

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歴史
1910年、ブエノスアイレス近郊のフロレスタ地区に設立された。ホームグラウンドの向かい側にブエノスアイレス西鉄道のベレス・サルスフィエルド駅(現名称:フロレスタ駅)があり、クラブ名称はこの駅名に由来する。創設当初はCAアルヘンティノス・デ・ベレス・サルスフィエルドという名称だったが、後にCAベレス・サルスフィエルドに短縮されている[2]。1919年、まだアマチュアリーグだったアルゼンチンリーグに初参戦して準優勝した。1913年にクラブの組合員となったホセ・アマルフィターニは1923年に会長となり、1925年にいったん会長職を退いたが、1941年に再就任すると1969年まで長期政権を築いた[2]。1931年にはアルゼンチンリーグがプロ化され、創設時の18クラブの一員となった。1941年にプリメーラ・ディビシオン(1部)から降格したが、1943年に復帰して以来プリメーラ・ディビシオンに在籍し続けており、アルゼンチンリーグ通算順位表では5位に位置する[2]。
1968ナシオナルではカルロス・ビアンチが活躍し、初のリーグ優勝を果たした。その後は優勝から遠ざかったが、1991年にはコパ・アメリカ優勝の立役者となったオスカル・ルジェリが南米年間最優秀選手賞を受賞した。1993年にビアンチが監督に就任すると、ゴールキーパーのホセ・ルイス・チラベルトやキャプテンのロベルト・トロッタを中心としたチームは1993クラウスーラで25年ぶりのリーグ優勝を遂げた。クラブの黄金期は1990年代であり、4つの国内タイトルと5つの国際タイトルを獲得している。1994年のコパ・リベルタドーレス決勝では前年度覇者のサンパウロFC(ブラジル)と対戦して勝利し、同年のトヨタカップではACミラン(イタリア)をトロッタとオマール・アサードのゴールにより2-0で破った。1995アペルトゥーラ、1996クラウスーラでもリーグ優勝し、1996年にはスーペルコパ・スダメリカーナで優勝した。ビアンチ監督は1996年に退いたが、1997年にはレコパ・スダメリカーナで優勝し、1998クラウスーラでは5度目のリーグ優勝を果たした。1991年から2000年まで在籍したチラベルトは南米チーム・オブ・ザ・イヤーに6度選出され、1996年には南米年間最優秀選手賞を受賞した。2009クラウスーラでも優勝争いに加わり、CAウラカンに次ぐ2位で最終節の直接対決を迎えた。ウラカン戦では雹が降って試合が一時中断するなどしたが、後半38分にマキシミリアーノ・モラレスが決勝点を挙げ、逆転で劇的なリーグ優勝を決めた。なお、判定への抗議などで試合が中断したため、この試合が終わったときに時計は後半60分を指していた。
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ニックネーム
ベレスの愛称のEl Fortin(エル・フォルティン:要塞)は、1932年7月13日、日刊紙クリティカの記者、ウーゴ・マリーニが、彼の記事のタイトルを、「サン・ロレンソは明日、ビジャ・ルーロの要塞(ベレス・サルスフィエルドのこと)を攻め落とすことができるだろうか?」と書いたことに由来する。当時、ベレスのスタジアムはビジャ・ルーロにあり、スタジアムの照明の塔の群が要塞を思わせる外観だったのでこの様に例えられた[3]。
スタジアム
リニエルス地区にあるエスタディオ・ホセ・アマルフィターニをホームスタジアムとしている。1941年から1943年の間に建設され、1947年から1951年の間にセメントを用いて改築された。1978 FIFAワールドカップに向けて改築されたスタジアムは同大会で開催地のひとつとなり、1次リーグの試合が行われた。1979年のコパ・アメリカではグループリーグの試合や決勝戦プレーオフが行われた。2001年にアルゼンチンで開催されたFIFAワールドユース選手権でも会場となり、決勝や3位決定戦が行われるなど、メインとなるスタジアムだった。ラグビーアルゼンチン代表のテストマッチやコンサートなどにも使用される。49,540人収容であるが[4]、この数字は固定席以外の座席も含む。
サポーターとライバル
ベレスのサポーターはFortineros(フォルティネロス)と呼ばれる。ブエノスアイレス市西部のリニエルス地区周辺にサポーターが多く、グラン・ブエノスアイレスのモレーノ地区やメルロ地区にもサポーターがいる。しかし、1990年代に国内外で成功を収めたことで、ベレスのサポーターは目に見えて増加し、今日ではアルゼンチン全域でサポーターを見つけることができる。ブエノスアイレスから1600km離れたトゥクマン州サン・ミゲル・デ・トゥクマンにもファンクラブが存在する[5]。
ベレスには直接的なライバルが存在しないが、近隣のカバリート地区を本拠地とするフェロ・カリル・オエステとは歴史的にライバル関係にある。彼らとの対戦はクラシコ・デル・オエステ(西部ダービー)として知られるが、フェロのプリメーラB・ナシオナル(2部)降格以来、両クラブは異なるカテゴリーに参戦しており、ライバル意識は薄れている。最後に対戦した2000年の試合ではアウェーのベレスが1-0の勝利を収めた。
2011年、ベレスがリーグ優勝してプロ化以降の優勝回数で、ビッグ5のひとつであるラシン・クルブを追い抜いたことがあった。これをきっかけに、ベレスの選手がメディアを通して、ラシンを挑発するなどして、両チームの対戦は以前より熱気を帯びている。
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タイトル

国内タイトル
- スーペルリーガ・アルヘンティーナ (1部) : 10回
- スーペルコパ・アルヘンティーナ : 1回
- 2013
- プリメーラB・メトロポリターナ (現3部相当) : 1回
- 1943
国際タイトル
- トヨタカップ : 1回
- 1994
- コパ・インテラメリカーナ : 1回
- 1994
- コパ・リベルタドーレス : 1回
- 1994
- スーペルコパ・スダメリカーナ : 1回
- 1996
- レコパ・スダメリカーナ : 1回
- 1997
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過去の成績
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ユニフォーム
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胸にV字のデザインが1stユニフォームとして採用されたのは、1933年である。このユニフォームは元々はラグビー・チームのために、オーダーされたものだった。しかし、サッカー・チームは引き下がらずこれを自分達のユニフォームとして採用することに決めた。
記録
要約
視点
出場試合数
リーグ戦と国際カップ戦の通算出場試合数[8]
太字の選手は現所属選手であるため、必ずしも最新の記録を反映していない
得点数
リーグ戦と国際カップ戦の通算得点数[9]
リーグ戦での得点王
以下はプリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得した選手の一覧である。
- アマチュア時代
- プロ時代
国際大会での得点王
以下は国際大会で得点王を獲得した選手の一覧である。
個人賞受賞者
以下はベレス在籍中に主要な個人賞を受賞した選手の一覧である。
FIFAワールドカップ出場選手
以下はベレス在籍中にFIFAワールドカップに出場した選手の一覧である。太字の選手はその大会で優勝したことを示している。
以下はベレスの下部組織出身でFIFAワールドカップに出場した選手の一覧である。出場したのがベレス在籍時ではない選手も含まれる。
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現所属メンバー
- 2018年2月1日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
監督 グスタボ・キンテロス
歴代会長
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歴代監督
エクトル・ベイラ (1989)
アルフィオ・バシーレ (1989-1990)
エドゥアルド・ルハン・マネーラ (1992)
カルロス・ビアンチ (1993-1995)
オスバルド・ピアサ (1996-1997)
マルセロ・ビエルサ (1997-1998)
フリオ・セサル・ファルシオーニ (1997-2000)
オスカル・タバレス (2000-2001)
アルベルト・ファネシ (2001-2002)
カルロス・イスチア (2002-2004)
アルベルト・ファネシ (2004)
マリオ・サナブリア (2004)
ミゲル・アンヘル・ルッソ (2004-2006)
リカルド・ラ・ボルペ (2007)
ペドロ・ララクイ (暫定) (2007)
ウーゴ・トカーリ (2007-2008)
リカルド・ガレカ (2008-2013)
ホセ・オスカル・フローレス (2014)
ミゲル・アンヘル・ルッソ (2015)
クリスティアン・バセーダス (2015-2016)
マウリシオ・ペジェグリーノ (2020-2022)
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歴代所属選手
→詳細は「Category:CAベレス・サルスフィエルドの選手」を参照
GK
ネリー・プンピード 1981-1983
カルロス・モントーヤ 1984-1986, 1987-1988
ウバルド・フィジョール 1989-1991
ホセ・ルイス・チラベルト 1991-2000
サンドロ・グスマン 1994-1996
パブロ・カバジェロ 1995-1998
セルヒオ・ゴイコチェア 1997-1998
ネルソン・タピア 2000-2001
DF
カルロス・イスチア 1979-1984
ビセンテ・ペルニア 1982
ホセ・ルイス・クチューフォ 1982-1987
ラウール・カルドーソ 1986-1999
マウリシオ・ペジェグリーノ 1990-1998
オスカル・ルジェリ 1990-1992
エクトル・アルマンドス 1990-1995
ビクトル・ソトマジョール 1992-1999
フラビオ・サンドナ 1992-1999
ロベルト・トロッタ 1992-1996
エドゥアルド・ドミンゲス 1996-2002
ファブリシオ・フエンテス 2001-2003
エミリアーノ・パパ 2006-2007, 2008-2014
パブロ・リマ 2007-2010
ニコラス・オタメンディ 2008-2010
ファビアン・クベロ 1996-2007, 2008-
ガストン・ディアス 2008-2013
セバスティアン・ドミンゲス 2009-2015
MF
ホルヘ・ソラーリ 1962-1963
オスバルド・エスクデロ 1979
ノルベルト・アロンソ 1981-1983
ディエゴ・シメオネ 1987-1990
アレハンドロ・マンクーソ 1989-1993
クリスティアン・バセーダス 1990-2000
マルセロ・ゴメス 1990-1997
ロベルト・ポンペイ 1991-1995
クラウディオ・ウサイン 1993-2000
ホセ・バスアルド 1993-1995, 2001-2002
マルセロ・エレーラ 1994-1997
ルーカス・カストロマン 1998-2001, 2004-2007
マクシミリアーノ・ブストス 2000-2008
ホナス・グティエレス 2001-2005
レアンドロ・ソモサ 2001-2006, 2008-2010, 2015-
レアンドロ・グラシアン 2001-2006
ダミアン・エスクデロ 2006-2008
/
イバン・モレノ・イ・ファビアネシ 2006-2007
レアンドロ・コロネル 2005-2009
マキシミリアーノ・モラレス 2009
フェデリコ・インスア 2012-2013
FW
カルロス・ビアンチ 1967-1973, 1980-1984
ホセ・オスカル・フローレス 1990-1996
エステバン・ゴンサレス 1990-1994
パトリシオ・カンプス 1991-1994, 1995-2000, 2001-2002
マルティン・ポッセ 1992-1999
オマール・アサード 1992-2000
ギジェルモ・モリヒ 1993-1997, 1999-2002
フェルナンド・パンドルフィ 1993-2000
ホセ・ルイス・サンチェス 1994-1997
セルヒオ・エスクデロ 1996-2000 (ユース)
ハイロ・カスティージョ 2000-2001
その他の競技
バスケットボール
男女のバスケットボールチームも所有している[10][11]。男子チームはリーガ・ナシオナルB(3部)などに在籍しているが、女子チームはアルゼンチンで最も成功を収めているチームであり[12]、リーガ・ナシオナル・デ・バスケット・フェメニーノ(1部)で2010年シーズンなど6度のリーグ優勝経験がある[13]。2010年シーズンのスターティングファイブ(サンドラ・パボン、マリーナ・カーバ、パウラ・ガッティ、パウラ・レッヒアルド、フローレンシア・フェルナンデス)は全員がアルゼンチン代表として女子バスケットボール世界選手権2010に出場した[14]。
バレーボール
出典
外部リンク
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