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ドイツ、バイエルン州マイン=シュペッサルト郡の町村 ウィキペディアから
オーバージン (ドイツ語: ) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区のマイン=シュペッサルト郡に属す市場町である。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
郡: | マイン=シュペッサルト郡 |
市町村連合体: | ブルクジン行政共同体 |
緯度経度: | 北緯50度12分32秒 東経09度36分54秒 |
標高: | 海抜 199 m |
面積: | 11.69 km2 |
人口: |
944人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 81 人/km2 |
郵便番号: | 97791 |
市外局番: | 09356 |
ナンバープレート: | MSP |
自治体コード: |
09 6 77 169 |
行政庁舎の住所: | Burgweg 1 97775 Burgsinn |
ウェブサイト: | www.markt-obersinn.de |
首長: | リオバ・ツィーレス (Lioba Zieres) |
郡内の位置 | |
地図 | |
オーバージンは、ヴュルツブルク地域に位置しており、町名の由来となったジン川によってシュペッサルト側とレーン側に分けられる。隣接する集落は、ミッテルジン、ジンタール=ヨッサ、ツァイトロフス=ロスバッハ、アウラ・イム・ジングルントである。町の近くに、ディッテンブルン集落にちなんで名付けられたディッテンブルナー高地がある。この高地はジンタール=アルテングローナウに属す。この町の最高地点はベルク・ゴイルスキュッペルの海抜 472 m、最低地点はジン川沿いの海抜 196 m である。高速鉄道ハノーファー - ヴュルツブルク線のタールブリュッケ・オーバージン(谷を渡る橋)はこの町の名前にちなんで命名された。オーバージンには、鉄道フリーデン - ゲミュンデン線の駅がある。
オーバージンは以下の2つのオルツタイル(行政上の地区)からなる[2]。
ゲマルクング(不動産における地区区分)はブルクヨス、フォルスト・アウラ、オーバージンである。
グートベツィルク・シュペッサルト* (マイン=キンツィヒ郡) | ジンタール (マイン=キンツィヒ郡) | ツァイトロフス ロスバッハー・フォルスト* (ともにバート・キッシンゲン郡) |
バート・ゾーデン=ザルミュンスター (マイン=キンツィヒ郡) ブルク・ヨス* | フォルスト・アウラ* | |
フォルスト・アウラ* | ミッテルジン |
町名の基礎語である sinn は町内を流れるジン川に由来する。付与語の Ober は、近隣に位置するミッテルジンやニーダージン(現在のブルクジン)と区別するために、谷での位置関係を表している[3]。
この町は、様々な古地図や史料に以下のような表記で記されている[3]。
フランケン帝国クライスに属していたヴュルツブルク司教領のこの地域における権利の大部分は、まず1803年にバイエルン王国、その後1805年にヴュルツブルク大公国を経て、1808年にアシャッフェンブルク侯国に引き継がれた。しかし、この権利は1814年に再びバイエルン王国に返還された。ヘッセン=カッセル選帝侯のこの地における権利は1860年になってバイエルン王国に移された。バイエルンの行政改革に伴い、1818年の自治体令によって現在の自治体が形成された。
1862年にベツィルクスアムト・ゲミュンデン・アム・マインが創設され、オーバージンはその管轄下に置かれた。ベツィルクスアムト・ゲミュンデンは、1872年にベツィルクスアムト・ロール・アム・マインに統合された。しかし1902年に再びベツィルクスアムト・ゲミュンデンが設けられた。1939年にドイツ国全土で「ラントクライス」(郡)の名称が用いられることとなった。オーバージンは、ゲミュンデン・アム・マイン郡の27市町村の1つとなった。ゲミュンデン・アム・マイン郡の廃止に伴い、オーバージンは1972年7月1日に新設されたミッテルマイン郡に属すこととなった。この郡は10か月後に現在のマイン=シュペッサルト郡と改名された。
1988年から2018年までの間に、この町の人口は1,209人から944人まで265人、約 21.9 % 減少した。この町は同時期に、マイン=シュペッサルト郡で最も減少率の大きかった町であった。
2008年5月1日からリオバ・ツィーレス (Freie Wählergemeinschaft) が町長を務めている。彼女は、旧ゲミュンデン郡に属す自治体で最初の女性首長である。彼女は2020年3月15日の選挙で 91.6 % の支持票を獲得して再選され、さらに6年の任期を得た[6]。
図柄: 銀の波状の柱で赤地と緑地に左右二分割。向かって左は、3本の銀の三角図形の上に銀の貝殻。向かって右は銀のブナの葉の上に、銀の記号。記号は大文字の "H" と数字の "4" とを組み合わせたものである[7]。
銀の波状の柱は、レーン山地とシュペッサルト山地とを分けるジン川とその谷を象徴している。オーバージンはヘッセン州とバイエルン州の州境に位置している。三角図形はヴュルツブルク司教領を表現している。オーバージンは1400年頃にヴュルツブルク司教により、教会区に昇格された。貝殻は教会の守護聖人聖ヤコブを表している。緑色の背景とブナの葉は、農地、牧草地、森(主にブナの森)といった地理上の特徴を表している。記号は、境界石にも刻まれているもので、1447年に4人の領主 (Herren) の間で成立し、約350年間この市場町の歴史を形成した共同統治を表現している。
紋章は1984年6月27日から用いられている。
紋章デザインは、オーバージンの L. ブライテンバッハ/G. ヴァイスマンテルによる。
旗の配色は、赤 - 白 - 緑である。
この町はブルクジン行政共同体に属している。
公式統計によれば、2018年時点で働く社会保険支払い義務のある就労者は81人であった。このうちサービス業に従事する者は18人であった。また、この町に住む社会保険支払い義務のある就労者は385人であった[8]。さらに2016年の統計では、224 ha の農業用地が存在していた。このうち 23 ha が耕作地、188 ha が牧草地であった[9]。
新しく整備された町の中心部に2019年7月から、オーバージンで生まれた作家で教育家のレオ・ヴァイスマンテルの生涯と作品に関する博物館が存在している。その展示室は、ヴァイスマンテルの生家に隣接する木組み建築「ヴィシェルト=ハウス」内に設けられている[10][11]。
この他以下の教育機関がある(2019年現在)。
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