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コーネル・デュプリー(Cornell Dupree、1942年12月19日 - 2011年5月8日)は、アメリカのギタリストでスタジオ・ミュージシャンである。フュージョン・バンドのスタッフのメンバーとして知られた。
1942年にテキサス州フォート・ワースに生まれ育つ。地元の高校であるI・M・テレル高校 (I.M. Terrell High School)を卒業。地元のクラブでキング・カーティスに見出され、20歳で「ザ・キング・ピンズ」に参加。同バンドの初期に短期間ジミ・ヘンドリックスが加入し、2人でギターを担当。当時はジミ・ヘンドリックスの派手なプレイとは対照的に、リズムギターに徹していたという。まもなく彼はアトランティック・レコードのセッション・マンとなり、ブルック・ベントンのヒット・シングル「雨のジョージア・Rainy Night in Georgia」でギターを担当した。[1]。同曲でのギター・プレイがデュプリーであることは、後年広く知られることとなった。以後もルー・ロウルズ、ダニー・ハサウェイ、ポール・サイモン、バーバラ・ストライサンド、ハリー・ベラフォンテ、レナ・ホーン、ロバータ・フラック、ジョー・コッカー、マイケル・ボルトン、マライア・キャリー等、幅広いジャンルのミュージシャンのレコードに参加している。アレサ・フランクリンのバッキングを担当したこともある。1972年、ロバータ・フラックのツアー同行中、交通事故に遭遇。一時事故の影響を受けたが、次第に演奏能力を回復させた。
デビュー・アルバム『ティージン』を1974年にリリース。ゴードン・エドワーズによるセッション・バンド、「エンサイクロペディア・オブ・ソウル」にも参加。このバンドが母体となりフュージョン・バンド「スタッフ」を結成し、ワーナー・ブラザース・レコードと契約した。なお、デュプリーは、ヴァン・マッコイの「ハッスル」には参加していない。1976年8月にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演し、同年にセルフタイトル・アルバムをリリースしメジャー・デビュー。
スタッフは4枚のアルバムをリリースしたが、メンバーがソロ活動などで多忙になってきたため、1980年のライブ・アルバムを最後に自然消滅。その後、メンバーのスティーブ・ガッドを中心にリチャード・ティーと共に「ガッド・ギャング」が結成された。
ソロ活動はスタッフでの活動と同時期にも継続して行っている。1988年発表の『コースト・トゥ・コースト』はグラミー賞にノミネートされた。ファンキーなセッションもしており、1991年の『キャント・ゲット・スルー』や、1992年のライブ・アルバム『アンクル・ファンキー』、1994年の『チャイルズ・プレイ』は良い評価を受けている。1994年の『Bop 'n' Blues』は最もストレート・アヘッド・ジャズ寄りなアルバムとされる。
リード・ギターの演奏能力があるが、大木トオルは自身のアルバム制作の際、友人のコーネルをサイド・ギターに起用したことがある。理由はアルバート・キングとの共作のために、バックを強力に固めたかったこともあるが、コーネルがギターを持ち始めた頃から、アルバートの大ファンだと知っていたためである。
2009年3月にはビルボードライブ東京にて、ジェームス・ギャドソンと来日公演を行っている[2]。
晩年は肺気腫を患って[3]肺の移植手術を待っていたが、2011年5月8日にテキサス州フォートワースの自宅で死去。68歳没[4]。
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