サラーフッディーン
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サラーフッディーン(サラディン)[1](ユースフ・イブン・アイユーブ・イブン・シャーズィー、アラビア語: يوسف بن أيوب بن شاذي, Yūsuf ibn Ayyūb ibn Shādhī、クルド語:Selaheddînê Eyûbî、1137年または1138年 - 1193年3月4日[2])は、12世紀から13世紀にかけてエジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配したスンナ派のイスラーム王朝であるアイユーブ朝の創始者である。現イラク北部のティクリート出身で、アルメニアのクルド人一族の出自である。エジプトとシリアを支配し、エルサレム王国を1187年に破り、さらに第3回十字軍を破ったことから、イスラム世界の英雄とされる。
概要 サラーフッディーン, エジプトとシリアのスルタン ...
サラーフッディーン | |
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サラーフッディーンと考えられる肖像画 | |
エジプトとシリアのスルタン | |
在位期間 1174年 – 1193年3月4日 | |
戴冠 | 1174年、カイロ |
先代 | アーディド (ファーティマ朝) |
次代 | |
出生 |
1137年頃 ティクリート、ジャズィーラ、アッバース朝 |
死亡 |
1193年(55 - 56歳没)3月4日 ダマスカス、シリア、アイユーブ朝 |
埋葬 | サラーフッディーン廟、ウマイヤ・モスク、ダマスカス |
実名 | ユースフ・イブン=アイユーブ・イブン・シャージー・イブン=マルワーン・イブン=ヤクブ・アル=ドゥワイニ・アル=ティクリーティー |
父親 | ナジムッディーン・アイユーブ |
配偶者 | イスマトゥッディーン・アーミナ・ビント・ウヌル |
子女 アル=アフダル、アル=アジーズ、アル=ザーヒル、アル=ムイッズ・イスハーク、ナジムッディーン・マスウード、ムーニサ・ハトゥン、ズムッルド・ハトゥン | |
信仰 | スンナ派イスラーム |
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