Loading AI tools
ヴァロワ朝末期からブルボン朝最初期にかけてのブルボン家の人物。 ウィキペディアから
シャルル1世・ド・ブルボン(仏: Charles Ier de Bourbon、1523年9月22日 - 1590年5月9日)は、ヴァロワ朝末期からブルボン朝最初期にかけてのブルボン家の人物で、ヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボンとフランソワーズ・ダランソンの子の一人。ヴァンドーム公およびナバラ王アントワーヌ・ド・ブルボンの弟であり、その息子フランス王アンリ4世の叔父に当たる。
シャルル1世・ド・ブルボン | |
---|---|
枢機卿、ルーアン大司教 | |
大司教区 | ルーアン |
着座 | 1550年 |
離任 | 1590年 |
聖職 | |
枢機卿任命 | 1548年 |
個人情報 | |
出生 |
1523年9月22日 フランス王国、ラ・フェルテ=スー=ジュアール |
死去 |
1590年5月9日(66歳没) フランス王国、フォントネー=ル=コント |
両親 |
父:ヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボン 母:フランソワーズ・ダランソン |
1548年に枢機卿となる。ルーアン大司教(1550年 - 1590年)など、その他様々な司教位に就き、カトリックの聖職者としての道を歩んだ。1589年のヴァロワ朝断絶後、カトリック同盟の貴族はプロテスタントであったアンリ4世の即位を認めず、枢機卿シャルルを対立王「シャルル10世」として擁立したが、翌1590年にシャルルは死去した。
のちに末弟でプロテスタント派の首領であったコンデ公ルイ1世の子シャルルが、ブルボン枢機卿およびルーアン大司教の地位に就いている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.