テオパンテクアニトラン
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テオパンテクアニトラン(Teopantecuanitlán)は、メキシコ、ゲレロ州東部、南シェラマドレ山脈山中のアマクサック川と南側に屈曲して流れるメスカラ川にはさまれた標高600mの平坦な台地上にある先古典期中期に繁栄したオルメカ文明の遺跡(祭祀センター)である。名称はナワトル語で「ジャガー神の神殿」を意味する[1]。レオン山の北東方向にA・B・C群と呼称される3つの遺構群とニーダーベルガーによって調査されたLomeríos地区とが1.6㎢にわたってこの遺跡を構成している[2]。
A群は、C群の南西1.5kmの位置にあり、B群はレオン山の北東の平坦地にN-18°-Wの主軸線状に建造物が並んでいる。B群に隣接して南西方向のレオン山斜面にA群がある。C群は、大規模な建造物2基、球戯場2基をはじめとして数基の小規模な建造物と広場からなっている。A群に隣接するようにして半地下式「中庭」[3]で有名なRecinto複合がある。
テオパンテクアニトランは、メキシコ国立人類学歴史学研究所のガダルーペ・マルティネス・ドンファンによって盗掘からの保護のために1980年代前半に調査が行われた。
テオパンテクアニトランの編年は、古い順からI - III期に分ける考え方[2]と7つの放射性炭素年代測定サンプルによってIII期をIII期とIV期に細分する考え方[4]がある。表面採集調査と土器片の分析によって、テオパンテクアニトランが繁栄したのはII期、III期であることが判明した。