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フィンランド神話(フィンランドしんわ)はフィンランドの神話であり、18世紀まで口伝によって継承されてきた。
フィン族は精霊信仰を常に信仰し、その後世俗化はしたものの原始宗教的な伝説を守ってきた。狩り(ペイヤイネン Peijainen)や収穫、種蒔きといった儀式は、社会的イベントとして開催されたが、根底にある宗教的部分は全く欠落しなかったのである。
周囲の文化の緩やかな影響によって、単一神教的な考え方から空神を主神格に上げたが、彼らにとっては空神も元来は他と同じ「自然界の存在の1つ」でしかなかった。
最も神聖視された動物の熊は、フィン族の祖先の化身と見なされていたため、具体的な名前を声に出して呼ぶことはせず、"mesikämmen"(草地の足),"otso"(広い額), "kontio"(陸に棲むもの)といった婉曲表現で呼んでいた。
フィンランドの古代の神々が「マイナーな異教神」になってしまっても、その精神は長年の伝統となって大多数のフィン族の生活に浸透しており、習慣としてその神々を大切にしている。驚くべき事でもないが、神の大部分は、森や水路、湖や農業といった自然の事象と密接に関連している。
歴史上フィン族の信仰に関する最初の記述は、1551年にフィンランドの司教のミカエル・アグリコラ[1]が旧約聖書の『詩篇』をフィンランド語に翻訳した時のものである[注 1]。彼はその翻訳(『ダビデの詩篇(ダウイディン・プサルッタリ)』 Dauidin Psalttari、1551年)の序文の中で、ハメ地方やカレリア地方の神や精霊について多く記述している[注 2]。
上記ミカエル・アグリコラの神々の目録では、ハメ地方とカレリア地方とでそれぞれ以下の12の神や精霊の名前と伝承が記録されていた。
18世紀には、ヘンリック・ガブリエル・ポルトハン[12]『フィンランドの詩』[13](De poësi fennica、1766-78年)や、クリスティアン・エリク・レンクヴィスト『古代フィンランド人の理論的および実践的な迷信について』(De superstitione veterum Fennorum theoretica et practica、1782年)[14]、クリストフリッド・ガナンデル[15]『フィンランド神話学』[16](Mythologia fennica、1789年)が編まれた。ガナンデルの『フィンランド神話学』は、フィンランド神話の基本的著作とされる[14]。
19世紀には、カルル・アクセル・ゴットルンド[17]『フィンランド少年娯楽用小民詩集』[18](Pieniä runoja Suomen poijille ratoxi、1813年・1821年)や、老ザカリアス・トペリウス[19][注 6]『フィンランド民族の古代民詩と新歌謡』[20](Suomen kansan vanhoja runoja ynnä myös nykyisempiä lauluja、1822年・1831年)が編まれた。トぺリウスの著作はリョンロートに影響を与えており[21]、また『カレワラ』(古カレワラ)のカレワに関する部分などはトペリウスを参照しているという[22]。
そして19世紀中頃に、エリアス・リョンロートが『カレワラ』を編纂した。口承を収集し、1833年に『ワイナミョイネンの民詩集』[23](Runokokous Väinämöisestä)、いわゆる「原カレワラ」(Alku-Kalevala)としてまとめ(ただしこれは未発表だった)、1835年にこれに追加の採集資料を加え補修改訂を行った『カレワラ・フィンランド民族太古よりの古代カレリア民詩』[24](Kalevala taikka vanhoja Karjalan runoja Suomen kansan muinosista ajoista)、いわゆる「古カレワラ」(Vanka Kalevala)を発表した。そして1849年にこれを増補改訂した『カレワラ』[25](Kalevala)、いわゆる「新カレワラ」(Unsi Kalevala)を発表した。『カレワラ』(新カレワラ)は文学的には高い評価を受け、フィンランドの国民的叙事詩とまで成った[26]。一方、民俗誌としては、元の伝承から改変が加えられていることが知られており、取り扱いに注意が必要である[27][28]。
またリョンロートは、『カンテレ・フィンランド民族古代及び現代の民詩と歌謡』[29](Kantele taikka Suomen kansan sekä vanhoja että nykysempiä runoja ja lauluja、1828-31年、全4巻)、『カンテレタル・フィンランド民族の古代歌謡と譚詩』[30](Kanteletar taikka Suomen Kansan vanhoja lauluja ja virsiä、1840年)、『フィンランド民族古代呪文民詩(ロイツルノヤ)』[31](Suomen kansan muinaisia loitsurunoja、1880年)といった伝承集成も残している。
リョンロートと同時代の伝承収集者としては、D・E・D・エウロパエウス[32]、M・A・カストレン[33]、J・F・カヤンなどが挙げられる。彼らが採集した資料は「新カレワラ」に取り入れられている[34]。
リョンロート以後の動きとしては、フィンランド文学協会[35]により編纂された『フィンランド民族古代民詩集』[36](Suomen kansan vanhat runot、1908-48年)がある。全33巻[37][38]、8万5千項目以上・総計127万行[38]という大部の収集資料である[注 7][注 8]。
20世紀以降のフィンランド神話や『カレワラ』に関する研究者としては、マルッティ・ハーヴィオ[40]、ウノ・ハルヴァ、などが挙げられる。
フィンランド神話における世界の創造については、以下の3つの類型が知られている。
宇宙卵型神話では、この世界は鳥の卵が破裂してできあがったものだとされている。また空は卵の殻かテントのようで、北にある北極星まで届く大きな柱がそれを支えているのだと考えられていた。星の動きは、北極星を中心に空の大きなドームが回転する事で起こると説明付けられていた。
地球の端には "Lintukoto"[43] (リントゥコト 「鳥の住処」[注 14])と呼ばれる暖かい地域があり、冬の間鳥が住んでいた[44]。天の川は "Linnunrata"[43] (リンヌンラタ 「鳥の通り道」[45][43][注 15])と呼ばれ、鳥は季節によってフィンランドとLintukotoの間を行ったり来たりすると信じられていた。フィンランドでは今でも、天の川の事をLinnunrataと呼んでいる。
鳥の存在には、もっと別の重要性もあった。まず、人が産まれる瞬間、その魂は鳥が運んできた。そして死の瞬間に運び去るのだ。また、枕元に木製の鳥の像("Sielulintu"[46] シエルリントゥ 「魂の鳥」[47][注 16])を置いておくことで、夢の中で魂が道に迷って帰って来られなくなる事を防いだ。
水鳥は物語ではごく普通の存在であるが、岩絵や彫刻に見られるように、古代人の重要な信仰の対象だった事をうかがわせる。
トゥオネラ[48] (Tuonela) は死者の国である。そこは全ての死者が赴く地下の収容場所もしくは都市であり、死者は善悪を問わずそこへ行く。トゥオネラは全てのものが永遠に眠る、暗く生命のない場所であるが、優れたシャーマンだけが祖先の教えを請うために、トランス状態でトゥオネラに行く事ができた。トゥオネラに行くためには、魂はトゥオネラの暗い川を渡らなければならなかったが、正統な理由があれば、魂を運ぶ船が来るという。シャーマンの魂は本当に死んでいるかのように信じ込ませてトゥオネラの見張りを何度も騙さなければならなかった。
ウッコはフィンランド神話中の主神であり、天空・天気・農作物(収穫期)とその他の自然の事象を司る神でもある。現在のフィンランド語の「雷 (ukkonen)」がウッコの名前から派生したように、雷を司る事でも知られている。雷神としてのウッコは、彼のもつウコンバサラと呼ばれるハンマーから、稲光を発したという。
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