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日本の雑誌 ウィキペディアから
ベースボールマガジン(Baseball Magazine)は、ベースボール・マガジン社(BBM)から発行されている野球雑誌。『ベースボール・マガジン』と表記される場合もある。
ベースボールマガジン | |
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Baseball Magazine | |
『ベースボールマガジン』創刊号 (表紙の写真は大下弘) | |
ジャンル | スポーツ雑誌 |
刊行頻度 | 隔月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | ベースボール・マガジン社 |
刊行期間 |
1946年4月 - 1958年4月、 1958年6月 - 1965年、 1972年 - 1974年、 1977年6月 - |
特記事項 |
1.創刊から1965年、1977年6月 - 1983年12月までは、月刊(月2回刊の時期もあり)。 2.1972年 - 1974年、1983年冬 - 2007年春は、季刊。 3.2007年7月以降は、隔月刊。 |
この節の加筆が望まれています。 |
1911年 - 1959年にかけて、博文館→博友社より発売・発行していた『野球界』[注釈 1]で編集長を務めた経験のある池田恒雄が、戦後の1946年4月20日に創刊[注釈 2]した雑誌である(当初の発行元は池田が興した恒文社。また、創刊後の5月3日に編集プロダクションとしてBBMを興した)。当初は月刊だった(月2回刊の時期もあり)。
戦後初期、再開直後の日本プロ野球では大下弘や川上哲治らスター選手全盛の頃、野球専門誌が乱立する時代が多かったが、そのリーダー的な雑誌として発行された(創刊号の表紙も大下の写真が起用された)。
1951年、3月20日付けでBBMが株式会社化した事に伴い、同年4月号より発行元を同社へ移行。
1958年3月発売の4月号(13巻7号=通算194号)を最後に、週刊化し『週刊ベースボール』として新装する形で創刊、通算巻数(1年=1巻)・巻次も週刊へ引き継がれた(創刊号となる4月16日号は13巻8号として刊行)。一月おいて6月号より復刊、巻次はリセットされ1巻1号となったが通算号数は引き継がれ195号として刊行した。以降週刊と並行して1965年まで刊行したが休刊。
その後1972年から1974年までの季刊化(1972年春季号=1巻1号 - 1974年冬季号=3巻1号)を経て、1977年5月発売の6月号で再び月刊として復刊。
1982年12月発売の1983年冬季号(書店に並ぶのは12月だが、記載されている発行日は翌年1月なので、1982年12月発売でも1983年冬季号となることに注意)より年間4回発行の季刊雑誌となり、毎回野球界の話題を1つのテーマにしぼって取り上げている。特に春季号(3月発行)ではその年のシーズンの展望や選手名鑑を掲載していた(選手名鑑は別冊付録)。冬季号(12月発行)ではシーズン総決算号を掲載していたが、2005年よりシーズン総決算号は『週刊ベースボール』の増刊となった。
2007年5月発売の7月号から隔月刊となり、奇数月に発売されている。現在のバックナンバー(通算巻数・号数)は、1977年6月号からカウントされている。
2016年夏から南魚沼産コシヒカリ「ベーマガ米」の販売を開始[1]。ベースボール・マガジン社創業者・池田恒雄の出身地は新潟県魚沼市で、新潟県南魚沼市には新潟支社がある[2]。
編集長交代に伴い2017年4月号より再び月刊化。
かつては、増刊号も発行していたが、野球に限らず、様々なスポーツを扱っていた。『相撲』や『週刊プロレス(旧題号:「プロレス」「プロレス&ボクシング」)』も元々はベースボールマガジンの増刊として発行されていた。また、その名残で「プロレス」「プロレス&ボクシング」では長らく本誌の題字・題号が上に表示されていた。
前述の理由により、冬→春→夏→秋のサイクルで1年になっていることに注意。
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