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コムーネ ウィキペディアから
モンタルチーノ (伊: Montalcino) は、イタリア共和国トスカーナ州シエーナ県にある、人口約5,600人の基礎自治体(コムーネ)。
モンタルチーノ Montalcino | |||
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行政 | |||
国 | イタリア | ||
州 | トスカーナ | ||
県/大都市 | シエーナ | ||
CAP(郵便番号) | 53024, 53028 | ||
市外局番 | 0577 | ||
ISTATコード | 052037 | ||
識別コード | M378 | ||
分離集落 | Camigliano, Castelnuovo dell'Abate, Montisi, San Giovanni d'Asso, Sant'Angelo in Colle, Sant'Angelo Scalo, Torrenieri | ||
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 | ||
公式サイト | リンク | ||
人口 | |||
人口 | 5622 人 (2024-01-01 [1]) | ||
人口密度 | 18 人/km2 | ||
文化 | |||
住民の呼称 | montalcinesi / ilcinesi | ||
守護聖人 | Maria Santissima del Soccorso | ||
祝祭日 | 5月8日 | ||
地理 | |||
座標 | 北緯43度03分33秒 東経11度29分21秒 | ||
標高 | 567 (71 - 661)[2] m | ||
面積 | 309.98 [3] km2 | ||
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ポータル イタリア |
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノというワインで有名。
2017年1月1日、サン・ジョヴァンニ・ダッソを編入した。
この町の名はラテン語に由来し、かつてこの地域を覆っていたさまざまな種類のオークから採られている。すなわち、mons (山) と ilex (トキワガシ)からの造語であり、「トキワガシの山」を意味する。
シエナ県南部に位置するコムーネで、その領域はおおむね四角形状である。西と南はグロッセート県と接している。ピエンツァから西へ約16km、県都シエーナから南南東へ約32km、グロッセートから北東へ約45km、ペルージャから西へ約73km、州都フィレンツェから南南東へ約82kmの距離にある。
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のGRはグロッセート県所属を示す。
モンタルチーノにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2308 GGである[4]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[5]。
モンタルチーノの本村(人口約2000人)は、コムーネのほぼ中央部(やや北東寄り)に位置する。街の高所からは、アッソやオンブローネ、アルビア谷など、オリーブ園やブドウ畑、畑や村が点在するトスカーナ地方の雄大な眺めを見ることができる。また、丘の麓にはブドウ園やオリーブ園が広がっている。
コムーネ北東部にトッレニエリ(Torrenieri、約1200人)、南東部にカステルヌオーヴォ・デッラバーテ(Castelnuovo dell'Abate、約200人)、南部にサンタンジェロ・イン・コッレ(Sant'angelo In Colle、約150人)やスタツィオーネ・サンタンジェロ=チニジャーノ(Stazione Sant'angelo-cinigiano、約200人)の集落がある。
モンタルチーノが位置する丘は、おそらくはエトルリア時代には人々が定住していた。史料で初めてこの町が現れるのは814年のことである。この文書からは、9世紀にこの地に教会があり、付近のサンタンティモ修道院 (Abbey of Sant'Antimo) の修道僧たちと関連があったことが示唆されている。街の人口は10世紀半ば、付近のロゼッレ (Rusellae) の街(現在はグロッセートの分離集落)から逃れてきた人々が移り住んだことによって急増した。
中世にこの町は皮革生産で知られており、高級な革から靴やその他の革製品を製造していた。時代が流れるにつれ、モンタルチーノを含めた高台の町々は経済的に衰退していく。トスカーナの多くの街がそうであるように、モンタルチーノは長い平和の時代を経験し、ささやかな繁栄を謳歌した。しかしながら、こうした繁栄はしばしば動乱によって中断した。中世後期、ローマとフランスとを結ぶ古い街道「ヴィア・フランチジェナ」 (Via Francigena) 沿いのこの街は、かなりの重要性を持った独立したコムーネであった。しかし、やがてより大きく野心的なシエーナ共和国の支配下に組み込まれていく。
1260年のモンタペルティの戦い (Battle of Montaperti) 以後、モンタルチーノはシエーナの衛星都市となったが、シエーナが巻き込まれたさまざまな抗争(とくに15~16世紀にはシエーナとフィレンツェの抗争)の巻き添えを受けることとなった。また、北部・中部イタリアの都市と同様、教皇派と皇帝派の争いにも巻き込まれた。
1555年、シエーナ共和国はメディチ家のフィレンツェ共和国によって征服される。モンタルチーノでは4年間にわたって強い抵抗が行われるが、最終的にはフィレンツェの膝下に屈した。その後、トスカーナ大公国が1861年にイタリア王国に編入されるまで、この町はフィレンツェの支配下に置かれた[6]。
モンタルチーノでは、著名なワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の生産によって経済は成長している。このワインは、コムーネで栽培されるsangiovese grosso種のブドウから生産される。ワイン生産者の数は1960年代には11であったが、今日では200以上に増加しており、年間33万ケースの「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」が出荷されている。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、保証つき統制原産地呼称(DOCG)の指定を受けた最初のワインであった。
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは5年間の熟成を要するが、これに加えて6年を要するリゼルヴァワイン、sangiovese grossoでつくられ1年寝かせた「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」(Rosso di Montalcino, DOC)、そのほかさまざまなトスカーナ・ワインが生産されている。
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