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イングランドのサッカー選手 ウィキペディアから
リロイ・ハリル・ボハリ・リタ(Leroy Halirou Bohari Lita, 1984年12月28日 - )は、ザイール(現コンゴ民主共和国)・キンシャサ出身のイングランド人サッカー選手。ナニートン・バラFC所属。ポジションはFW(センターフォワード)。
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シーサケート時代(2017年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
リロイ・ハリル・ボハリ・リタ Leroy Halirou Bohari Lita | |||||
ラテン文字 | Leroy Lita | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
イングランド コンゴ民主共和国 | |||||
生年月日 | 1984年12月28日(39歳) | |||||
出身地 | キンシャサ | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ナニートン・バラFC | |||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2001 | チェルシー | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2005 | ブリストル・シティ | 85 | (31) | |||
2005-2009 | レディング | 83 | (20) | |||
2008 | → チャールトン (loan) | 8 | (3) | |||
2008 | → ノリッジ (loan) | 16 | (7) | |||
2009-2011 | ミドルズブラ | 78 | (20) | |||
2011-2014 | スウォンジー | 18 | (2) | |||
2012 | → バーミンガム (loan) | 10 | (3) | |||
2013 | → シェフィールド・W (loan) | 17 | (6) | |||
2013 | → ブライトン (loan) | 5 | (1) | |||
2014-2015 | バーンズリー | 19 | (2) | |||
2015 | → ノッツ (loan) | 6 | (0) | |||
2015-2016 | ハニア | 11 | (1) | |||
2016 | ヨーヴィル | 8 | (1) | |||
2017 | シーサケート | 21 | (5) | |||
2018 | マーゲート | 3 | (0) | |||
2019 | ソーズベリー | 3 | (2) | |||
2019-2020 | チェルムスフォード・シティ | 12 | (1) | |||
2020- | ナニートン・バラ | 0 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2005-2007 | イングランド U-21 | 9 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年5月11日現在。 2. 2010年3月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
チェルシーFCの下部組織出身で、18歳当時の2002年にディヴィジョン2のブリストル・シティFCでプロデビューを果たす。2004-05シーズンにはリーグ1で24得点を記録し、クラブの年間最優秀選手に選出された。
2005年7月14日、チャンピオンシップのレディングFCへ移籍[1]。移籍金はクラブレコードとなる100万ポンドで、スティーヴ・コッペル率いるクラブと3年契約を締結する。2005-06シーズンでリーグ戦11得点を挙げ、イングランド史上最多勝ち点106獲得及びクラブ史上初のプレミアリーグ昇格に寄与。初のトップディヴィジョンでのプレーとなった2006-07シーズンは、公式戦合計37試合12得点を記録しクラブの1部残留に貢献する。
翌シーズンは開幕前の負傷もありリーグ戦14試合1得点に留まる中、2008年3月5日にチャールトン・アスレティックFCへ4週間の期限付き移籍となり[2]、同月末にローン期間が延長される[3]。4月21日に残留争いを繰り広げるレディングへ呼び戻されるが[4]、クラブはリーグ18位に終わりチャンピオンシップへ降格する。
2008年10月1日、ノリッジ・シティFCへ1か月の期限付き移籍[5]。同月21日のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦でハットトリックを記録し5-2での勝利に貢献するなど[6]、12試合出場6得点を記録する。12月にはローンが延長され年末までキャロウ・ロードでプレーした[7]。2008-09シーズン限りで契約満了によりマデイスキ・スタジアムを去る。
2009年8月3日、ミドルズブラFCへ3年契約で加入[8]。2010-11シーズンにはチャンピオンシップで38試合出場12得点を記録する。
2011年8月3日、プレミアリーグへ昇格するスウォンジー・シティAFCへ移籍金1.75万ポンドの3年契約で加入[9]。自身2度目のプレミア挑戦となったが、ブレンダン・ロジャーズ監督の下で16試合出場2得点に留まる。2012年2月にはメイフェアで騒ぎを起こしたことで逮捕され、サポーターに謝罪した[10]。
同年5月にミカエル・ラウドルップが新監督に就任すると戦力外となり、2012年9月6日にバーミンガム・シティFCへ3か月の期限付き移籍となる[11]。翌年1月25日からはシェフィールド・ウェンズデイFCでシーズン終了までプレーした[12]。
2013年10月16日、レオナルド・ウジョアが負傷離脱していたブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ年末までローンとなった[13]。
2013-14シーズン限りでリバティ・スタジアムを去ると、イプスウィッチ・タウンFCのトライアルを受けるが契約には至らなかった[14]。2014年8月9日、フリートランスファーでバーンズリーFCと1年契約を締結した[15]。
2015年3月3日、ノッツ・カウンティFCへシーズン終了まで期限付き移籍[16]。同年9月14日、ギリシャ2部のAOハニアへ加入する[17]。2016年3月5日、シーズン終了までの契約でリーグ2のヨーヴィル・タウンFCへ移籍した[18]。
2015-16シーズン限りでクラブを退団しフリーとなっていたが、2017年1月8日にタイ・リーグのシーサケートFCに加入することが発表された[19]。9月15日、数か月に亘る給与未払いを理由にクラブを退団した[20]。
2018年9月9日、イスミアンリーグ・プレミアディヴィジョンのマーゲートFCと契約した[21]。2019年8月3日、プロキャリアから引退することを表明した[22]。
2019年11月9日、ナショナルリーグ・サウスのチェルムスフォード・シティFCと短期契約を締結[23]。翌年5月8日にクラブを去る[24]。
2020年5月22日、サザンフットボールリーグのナニートン・バラFCへ加入した[25]。
レディングでの活躍を受けU-21イングランド代表に招集される。2005年2月8日のU-21オランダ戦で65分にジャスティン・ホイトとの交代でデビューし、試合終了間際に初ゴールを挙げる[26]。2006年2月28日、U-21ノルウェー戦でデイヴィッド・ニュージェントに代わり投入され1年振りにプレー。2007年2月6日のU-21スペイン戦でジェイムズ・ミルナーとの交代で出場すると、79分に同点弾を挙げ2-2のドローに持ち込んだ[27]。
UEFA U-21欧州選手権2007のメンバーに選出される[28]。U-21チェコとのグループリーグ初戦でPKを失敗しスコアレスドローに終わるが[29]、以降は3試合連続ゴールを記録。UEFAが選定する同大会ベストチームの一員となった[30]。
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