ローズヴェルトの系論
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ローズヴェルトの系論(ローズヴェルトのけいろん、Roosevelt Corollary)は、アメリカ合衆国の外交史において第26代大統領セオドア・ルーズベルトによって導入された外交指針のこと。アメリカの伝統的な外交政策であるモンロー主義(モンロー・ドクトリン)を拡張する形で、ラテン・アメリカ国家に対するヨーロッパ列強国の介入を牽制し、必要に応じてアメリカが介入することを正当化する政策理論である。原語の "Corollary" は直訳で「必然的帰結」を意味し、この外交指針がモンロー主義に徹しようとした場合に導かれるものであることを指している。
発端は1902年から1903年にかけてイギリスらヨーロッパ列強国が対外債務の不履行を理由に中南米のベネズエラに対して行った海上封鎖紛争(ベネズエラ危機(英語版))である。1904年にハーグの常設仲裁裁判所は、同紛争の仲裁案として軍事行動を起こした国に債務返済の優遇措置を与える旨の判断を下したが、これは伝統的に非介入主義のアメリカにとって、ヨーロッパ列強が不安定な中南米の小国に介入する口実を与えたと危機感を抱かせるものであった。そのため、当時のルーズベルト大統領は1904年12月の一般教書演説にて、アメリカは中南米の地域安定のために軍事介入も辞さない姿勢を示した。しかしながら、ルーズベルトは、これをモンロー主義の否定ではなく、むしろ遵守した結果として生じる方針であると説明した。
ルーズベルト政権はこの外交指針に基づいて棍棒外交を行い、自国の軍事力を背景にした外交政策を行った。ルーズベルト以降の政権も同様に中南米政策において、ローズヴェルトの系論を踏襲し、ヨーロッパ列強の介入を防ぐとともにアメリカの支配力を強めていった。本質的にはヨーロッパと同じ帝国主義的政策であるとみなされたが、カルビン・クーリッジとハーバート・フーヴァーの大統領時代に修正が図られ、最終的にフランクリン・ルーズベルトの善隣政策に移行する。しかしながら冷戦時代にはソ連の脅威を名目として再びローズヴェルトの系論に言及する外交政策が展開されることもあった。