伊治呰麻呂ウィキペディア フリーな encyclopedia 伊治 呰麻呂(これはり/これはる の あざまろ、生没年不詳[1])は、奈良時代の人物。姓は公。官位は外従五位下・上治郡大領。 8世紀後半に陸奥国(現在の東北地方)で活動した蝦夷の族長で、朝廷から官位も授けられていたが、宝亀11年(780年)に宝亀の乱(伊治呰麻呂の乱/伊治公呰麻呂の乱)と呼ばれる反乱を引き起こした。
伊治 呰麻呂(これはり/これはる の あざまろ、生没年不詳[1])は、奈良時代の人物。姓は公。官位は外従五位下・上治郡大領。 8世紀後半に陸奥国(現在の東北地方)で活動した蝦夷の族長で、朝廷から官位も授けられていたが、宝亀11年(780年)に宝亀の乱(伊治呰麻呂の乱/伊治公呰麻呂の乱)と呼ばれる反乱を引き起こした。