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プロジェクトY(en:Project Y(2021年1月27日、Steago47他)より翻訳)
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1945年10月16日のロスアラモス牧場学校(英語版)においてロスアラモス研究所に陸海軍「E」賞(英語版)を授与する式典でのロバート・オッペンハイマー(左)、レズリー・グローヴス(中央)、ロバート・スプラウル(英語版)(右) | |
設立 | 1943年1月1日 (1943-01-01) |
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研究種類 | 機密組織 |
予算 | 5788万ドル |
研究分野 | 核兵器 |
理事 | ロバート・オッペンハイマー ノリス・ブラッドベリー(英語版) |
所在地 | アメリカ合衆国、ニューメキシコ州、ロスアラモス 北緯35度52分32秒 西経106度19分27秒 |
運営機関 | カリフォルニア大学 |
ロスアラモス科学研究所 | |
所在地 | ニューメキシコ州ロスアラモス中央通 |
座標 | 北緯35度52分54秒 西経106度17分54秒 |
建設 | 1943年 |
建築様式 | バンガロー・職人、現代運動 |
NRHP登録番号 | 66000893[1] |
NRHP指定日 | 1966年10月15日 |
プロジェクトY(Project Y)としても知られるロスアラモス研究所(Los Alamos Laboratory)は、第二次世界大戦でマンハッタン計画により設立されカリフォルニア大学が運営した秘密研究所であった。その任務は最初の原子爆弾を設計・製造することであった。ロバート・オッペンハイマーが初代長官で、1943年からノリス・ブラッドベリー(英語版)に引き継ぐ1945年12月まで務めた。情報漏洩しないようにしながら科学者が自由にその任務について討論できるように研究所はニューメキシコ州の遠隔地にあった。戦時の研究所は、嘗てロスアラモス牧場学校(英語版)の一角であった建物を利用した。
開発活動は当初Mark 2と呼ばれるプルトニウムを用いたガンバレル型に特化した。1944年4月、ロスアラモス研究所は原子炉で増殖するプルトニウムの自発核分裂の割合がプルトニウム240があるために大きすぎ核が十分に集まらない内に連鎖反応する不完全核爆発の原因となると判断した。オッペンハイマーはこの時研究所を再編し、ジョン・フォン・ノイマンが二者択一のデザイン(ファットマンと呼ばれる内部崩壊型核兵器(英語版))として完全で最終的に成功した活動を組織化した。リトルボーイとして知られる別種のガンバレル型の設計は、ウラン235を用いて開発された。
ロスアラモス研究所の化学者は、ウランとプルトニウムを精製する手法を開発し、後者はプロジェクトYが始まった時は僅かしかなかった金属であった。冶金学者はプルトニウムが予期せぬ量があることを発見したが、それにもかかわらず金属領域に組み込めた。研究所は運用可能な世界で3番目の炉である水性均質炉として沸騰水型を建造した。重水素と三重水素で核融合反応に点火する核分裂爆弾を用いる水素爆弾スーパーも研究した。
ファットマン型は1945年7月にトリニティ実験として実験が行われた。プロジェクトY要員は日本への原子爆弾投下に向けたピット要員と組み立て班を形成し、爆弾製造班と観測班として爆撃に参加した。戦後研究所はビキニ環礁のクロスロード作戦を支援した。サンディア基地(英語版)に集約された新しいZ部が実験や備蓄、観測活動を管理するために創設された。ロスアラモス研究所は1947年にロスアラモス国立研究所になった。