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シェヴェロドネチク(Sievierodonetsk ウクライナ語: Сєвєродоне́цьк [ˌsʲɛw(j)erodoˈnɛtsʲk]、シエビロドネツク Sieverodonetsk ウクライナ語: Сєверодоне́цьк[ˌsʲɛwe-]、セベロドネツクSeverodonetsk ロシア語: Северодоне́цк, tr. Severodoneck[ˌsʲevʲɪrədɐˈnʲɛtsk])はウクライナのルハーンシク州にある地域の重要な都市である。セベルスキー・ドネツ川の河畔に位置し、首都ルハーンシクから北北西へおよそ110キロメートル (68 mi) である。ロシアの軍事介入を受けたウクライナ動乱中に首都が自称親ロシア分離主義組織によって一時的にウクライナ当局の統制を外れた期間、ドネツィク州のクラマトルスクが行政機能を肩代わりした。同じようにルハーンシク州の場合、この都市が州都として機能した。クリミア危機(2014年~2015年時点)[注釈 1]ルハーンシクは戦闘状態が収まったのちも「法律上は」かつての政令指定都市であり行政の中心であることに変わりはない。シェヴェロドネチクの人口は10万6,188人と推計される(2017年推定 ) 。
工業都市シエヴェロドネチクには複数のプラントがあり、化学物質製造業アゾット社(英訳:窒素産業)の企業城下町でもある。近隣の都市に国内線の空港がある[要出典]。
町の名前は古い地図に同名の川に由来してドネツ(Donetz・Donez)として載っている。
現代のシェヴェロドネチクはその成り立ちを、リシチャンシク窒素肥料工場の建設に負うところが大きい。1934年にリシチャンシク市内で工場建設が始まるころ、ドネツの町とリシチャンシクの合併は成立していた。建設現場に送り込まれた労働者が最初に入植した地域は、ドネツ近郊のリスヒンストロイ Liskhimstroi という。開拓地には1935年9月に最初の学校が建ち、ケイ酸塩レンガ工場が操業を開始、2階建て住宅が初めて3軒完成した。Liskhimstroiには5年後の1940年に化学関連の10施設に加え、住宅47軒、学校と幼稚園と保育園が1件ずつ置かれ、さらにナイトクラブが1軒営業している。
二次世界大戦中の1942年7月11日、リスヒンストロイはドイツ軍に占領され半年弱の支配ののち、赤軍によって1943年2月1日に解放される。リシチャンシク窒素肥料工場 Lysychansk の復興および拡張に着手するのは年内の12月10日である。1946年には戦前の住戸数を回復、市街地面積は1万7,000m2に拡大する。
1950年、町名リスキムストロイの改名について4案が提示される。シェヴェロドネチクに加え、スヴェトログラド、コムソモリスクオンドネツ、メンデレーエフスクという案があがり、同年、シヴェルスキー・ドネツ川にちなみシェヴェロドネチクが選ばれ、都市居住地に格上げされた。1951年1月1日より、化学工場が硝酸アンモニウムの生産を開始{{efn|シェヴェロドネチク(Severodonetsk ・ Sievierodonetsk)はルハーンシク市の北西およそ90 km に位置する。2014年9月以降、ウクライナ政府の管轄から外れたルハーンシクに代りルハーンシク州の州都に指定される[3]。
地元紙の発行は1965年4月から続く[4] 。
2014年親ロシア派による騒乱が発生したとき、2014年5月下旬に町は親ロシアの過激派に掌握された[5][6]。過激派が投票所の開設を許さなかったこと、選挙管理委員会財が補完する投票箱ほか備品の多くが略奪または破壊に遭ったことから、2014年ウクライナ大統領選挙は都市部では行われていない。数日間にわたる激しい市街戦の末、2014年7月22日にウクライナ軍が都市の支配権を奪還する[5][7]。ウクライナ国家警備隊とウクライナ軍は2014年7月23日、都市をテロリストから解放したと宣言するに至った[8][9]。
セベルスキー・ドネツ川に架かる橋は2014年の戦闘により深刻な被害をこうむり、修復資金の93.8%を欧州連合の寄付でまかなった結果[注釈 2]、2016年12月に再開通する。
ノボドルジェスク (25 km) | ルビージュネ (4 km) クレメンナヤ (20 km) |
スタロベルスク (62 km) | |
リシチャンシク (4 km) | ノボアイダル (44 km) | ||
ドネツィク (162 km) | アルチェフスク (82 km) | ルハーンシク (102 km) |
人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
1939 | 5,000 | — |
1959 | 33,200 | +564.0% |
1970 | 90,000 | +171.1% |
1975 | 107,000 | +18.9% |
1991 | 131,000 | +22.4% |
2009 | 121,000 | −7.6% |
国勢調査による市民の民族構成(2001年時点)は次のとおり[11]。
シェヴェロドネチクの見どころをまとめる[3]。Druzhby Narodiv 大通りに沿って市立劇場と科学文化館があり、カトリック教会 Holy Christ Nativity Cathedral と音と光の噴水も市の中心部に位置する。ドネツカ通りに面する T-34-85 戦車を展示した庭園、町の経済活動を支えた化学工場の盛衰を伝える博物館 (Pyvovarova Street, 5)、シェヴェロドネチク美術館、 Parkove 湖と庭園のあるシェヴェロドネチク運動公園、さらにセベルスキー・ドネツ川に沿って林や土手の景観が楽しめる[注釈 3]。
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